編集局記者が本紙とはひと味違う記事をお届けします。
火災発生。いざというとき、慌てずに初期消火や避難ができるかと問われれば、自信がない。「消火器は使ったことがない」という人が大半だろうし、もしかしたら一生使うことがないかもしれない。ビルにある「避難はしご」もしかり。使う事態にならないことが...
大分市のJR大分駅府内中央口広場で2日開かれた「第10回こども屋台選手権」の出場21チームは、それぞれが想像力あふれるメニューを提供し、来場者が列を作った。入賞チームと、パンフレットから抜粋した出品メニューの内容やアピールポイントは次の通...
101歳で亡くなった村山富市元首相の講演録が大分合同新聞社に寄せられました。2000年6月25日にあった大分キャピタルロータリークラブ国際ロータリー加盟認証状伝達式で、特別記念講演として首相時代の経験談を披露したものです。真っ正直で素朴、...
昭和100年と合併後の豊後高田市誕生20周年を記念する「豊後高田・昭和の町ヒーロー祭り」が10月25日、豊後高田市であった。高田体育センターでは、大分県内を拠点とする「プロレスリングFTO」が無料の大会を開催。試合はさることながら、満員の...
奈良市にある手向山(たむけやま)八幡宮の八幡神が26日、およそ1300年ぶりに宇佐市の宇佐神宮に「里帰り」した。八幡神は奈良時代に東大寺の大仏完成に協力するため宇佐から奈良を訪れ、それ以降、東大寺を守護している。里帰りに同行し、宇佐神宮で...
奈良市にある手向山(たむけやま)八幡宮の八幡神が、およそ1300年ぶりに宇佐市の宇佐神宮に「里帰り」する。八幡神は奈良時代に東大寺の大仏の完成に協力するために宇佐から奈良を訪れ、それ以降、東大寺を守護している。里帰りに同行する東大寺の上司...
第7回おおいた自主映画祭で最優秀作品賞に輝いた「ラストオーダー」は、同じ位置にカメラを固定し、最後まで通しで撮り続ける手法を使った10分間の映画だった。読者の皆さんが、どこかでこの作品に巡り合うかもしれないので、映画祭のパンフレットに記さ...
▼休日のランチに寄った店で1人席に案内されると、隣の席から「おっ」と声がした。数年前に退職した大先輩と久々の再会。...
大分市内の商業施設の3階にいたら、フロアの電気が突然消えた。暗くなった瞬間、大勢の買い物客のザワザワした声が広がった。その音に懐かしい感覚がよみがえった。 ■ザワザワ感で思い出した小学校の映画教室 1970年代(昭和40年代中...
「原さん」「渕さん」「辻さん」「岡さん」。1文字の名字の知人や友人は意外と多い。中でも「森さん」「牧さん」は自分の交友関係の中に比較的たくさんいると感じるが、それでも「森さん」と「牧さん」ばかりが立て続けに出現することは、経験上ない。だが...
2003年4月、当時22歳だった馬場信行さん(44)はインドネシアのジョグジャカルタに滞在していた。カブトムシやクワガタといった甲虫類の輸入ルートを開拓するためだ。日本で人気のあるこうした昆虫は、多くは東南アジアから輸入されている。馬場さ...
物流の仕事をPRする「トラックフェスin佐伯」が8月23日、佐伯市であった。呼び物の「トラック綱引きタイムトライアル」は出場チームに熱い声援が飛び交い、大きな盛り上がりを見せた。出場者の中に大分東明高ラグビー部員がおり、注目を集める中、圧...
今、大分県で話題になっている事といえば、間違いなく上位に食い込むのが新型ホーバークラフトの就航だろう。紆余(うよ)曲折あって、定期運航の開始が大幅に遅れ、7月26日にようやく大分市と大分空港(国東市)間で「Baien」「Banri」「Ta...
大分市に米軍機の編隊が飛来し、爆撃機が投下した焼夷(しょうい)弾で市街地の西部が広範囲に焼かれた。 当初は熊本市が攻撃目標だったが、先発隊の爆撃による煙で視界が悪くなったため、狙いを第2目標の大分市に切り替えていた。7月の大分大空襲で...
人間の命、命をつなぐ家族の歴史、戦争で失われる命、助けたい命。「人は生きてこそなんだ」。シンガー・ソングライター蘭華(らんか)は、そんな思いを込めてステージに立つ。デビューから10周年を迎え「何とかここまで来れました」をサブタイトルにした...
米国を代表するプロレスラー、ハルク・ホーガンさん死去のニュースが25日未明に流れた。享年71。人気、実力ともにキャッチフレーズの「超人」そのもので、世界中で愛されたスーパースターだった。大分にまつわるホーガンさんの思い出を振り返りたい(以...
大分市と大分空港を海路でつなぐホーバークラフトの定期運航が7月26日に始まる。その日が目前に迫った20日朝、私は大分市駄原(西大分)のホーバーターミナルおおいた(通称ホボッタ)にいた。報道機関向けの乗船会だ。 訓練中の事故など困難を乗...
<別府市 飯田哲朗さん> 真夜中の県都に2万発の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ。太平洋戦争末期の1945年7月17日未明にあった大分大空襲。中学3年だった飯田哲朗さん(94)=別府市山の手町=は、現在の大分市都町で爆撃に見舞われた。「経...
九重町野上の野矢小は2024年度から「親子山村留学」の受け入れに乗り出し、今年4月には1組目の家族を迎え入れた。山村留学は教育の選択肢を広げ、少子化に悩む過疎地域にとっては学校存続の希望にもなっている。住民の思いや、豊かな自然と文化に触れ...
今年1月下旬。スキーウエアに身を包んだ九重町野上の野矢小の児童たちが、太陽を反射するまぶしいゲレンデで笑顔を輝かせていた。町内湯坪には、九州最大規模を誇る九重森林公園スキー場があり、毎年の恒例行事になっている。 「自分で止まれるように...
特攻の命令を受けた三浦秀逸さんらの第24振武隊は、1945年春から千葉、大阪、山口へと基地を転々とした。 この頃の手紙には、特攻への覚悟やサクラの花に寄せる思いと併せ、かつての家族での暮らしを懐かしむ記述もある。大阪では伯母の家を訪ね...
1944年12月5日。21歳の三浦秀逸さんは特攻隊員に任命された。この日の手紙は「取急ぎ申し上げます。本日」の後が検閲で黒塗りになっている。かすかに見えるペン先の跡から、「大命を拝しました」と記していたとみられる。 検閲による黒塗りは...
陸軍の特別操縦見習士官(特操)の1期生として飛行訓練を受けていた三浦秀逸さん。1944年春には中国大陸に渡って訓練が続いた。手紙に「見るもの聞くもの珍しきものばかり」「大陸の黄砂のひどい事、今更ながらおどかされました」などと現地の様子を興...
特攻隊員だった三浦秀逸(しゅういつ)さん(享年101)が戦時中に家族へ送った手紙43通の全文を、4回に分けて紹介する。 三浦さんは旧制の高等農林学校から1943年10月に熊本県の大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊へ入った。当時19歳。入...
「元米軍パイロットが写真の家族を捜している」 5月上旬、大分合同新聞社に一通のメールが届いた。差出人は東京都内の女性。以前から交流のある米国の男性が、50年前に佐伯市の砲台跡を訪れた際、日本人の家族連れと出会った。その時に撮った写真を...
元米軍パイロットが50年前に撮った写真。そこに写っていた家族を捜そうと意気込んで始めた聞き込みは、予想外の展開になった。1軒目で親戚の家にたどり着いてしまったのだ。 写真を見て「私の伯母さんや」と声を上げたのは、佐伯市蒲江西野浦の浪井...
大分合同新聞社は県内の全県立・私立高校にアンケートをし、今年春の大学入試の合格状況を調べた。大分西を除く55校が回答。4年制国公立大は現役生1850人が合格をつかんだ。 大学別の現役合格者数を見ると、国内最難関の東京大は11人。このう...
県内で米大型爆撃機B29の2機が撃墜された。 中津市三光の八面山には、日本軍の戦闘機「屠龍(とりゅう)」の体当たりを受けた1機が墜落。佐伯市弥生宇藤木の山中にも、戦闘機「紫電改(しでんかい)」の攻撃により1機が落ちた。合わせて米兵22...
米大型爆撃機B29の編隊が、大分、熊本県境付近の上空で日本軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」の追撃を受け、1機が竹田市平田の山中に墜落した。落下傘で脱出して捕虜となった米兵が、九州帝国大(現九州大)で生体解剖実験を受けるなどして犠牲になっ...
米大型爆撃機B29の編隊が佐伯市に飛来し、佐伯駅周辺や市街地に爆弾を落とした。現中村西町の本馬場通り沿いにあった防空壕(ごう)に直撃し、避難していた多くの住民が即死。他の被害を含め市民46人が亡くなった。隣の東上浦村(現佐伯市上浦)でも浪...
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