編集局記者が本紙とはひと味違う記事をお届けします。
1945年4月21日に宇佐市(当時の柳ケ浦町)であった空襲の体験談を、本紙連載企画「大分の空襲」(73年8~9月)から抜粋して再掲します。 防空監視哨(しょう)長清水忠直さん(日輪寺住職)は自宅から二キロ離れた妙見池畔の監視哨任務につ...
藤井真治(まはる)大尉が特攻出撃前に記した遺書と手紙は次の通り。(宛名、署名は省略) 【4月2日】 ▼家族全員宛て 之(これ)から第一八幡護皇隊員として特別攻撃に出発します。 必死必中体当り。 隊長として行きます。 親不孝...
村山富市元首相が大分合同新聞に宛てた文書は次の通り。(原文をそのまま掲載しています) 1944年、19歳の私は明治大学在学中で、日本中が戦時体制の下、勤労動員で石川島造船所で汗を流す軍国少年の一人でした。20歳になると徴兵検査を受...
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