「元米軍パイロットが写真の家族を捜している」 5月上旬、大分合同新聞社に一通のメールが届いた。差出人は東京都内の女性。以前から交流のある米国の男性が、50年前に佐伯市の砲台跡を訪れた際、日本人の家族連れと出会った。その時に撮った写真を渡したい―と言っているという。 地元の新聞社なら何か手掛かりがつかめるのではないか。そんな願いが記されていた。 その家族の名前や住所は分からない。男性の記憶と写真を頼りに、記者が家族捜しに乗り出した。 メールをくれた高橋悦子さん(62)によると、男性は米国メリーランド州に住むデビッド・カーチナーさん(96)。 デビッドさんは1957、58年と71~75年に、米軍のパイロットとして山口県岩国市の岩国航空基地に駐留していた。岩国と沖縄の基地を往復していた時、上空から見た旧日本海軍の仙崎砲台跡(佐伯市蒲江西野浦)に興味を抱いた。 74年か75年ごろのある日、同僚の操縦するヘリコプターでそばに降ろしてもらい、砲台跡を見学した。そこでたまたま家族連れと出会い、一緒に写真を5枚撮ったという。 写真が出来上がったら郵送したいと思い、その家族から住所を聞いたが、メモを紛失してしまい送ることができなかった。今年4月、古いアルバムを整理する中で見つけ、50年越しに届けたいと考えたそうだ。 とはいえ、写真の家族が今も砲台跡付近に住んでいるかは分からない。そもそも本当に近所の住民なのか。それに50年前の姿を見て分かる人が今もいるのか…。 疑問は尽きないが、動くしかない。メールが届いた2日後、現地に行ってみた。 佐伯市蒲江西野浦は大分市から車で1時間半ほど。人を捜す前に、まずはデビッドさんと同じ景色を見てみようと、砲台跡に向かうことにした。 仙崎砲台は「芹崎砲台」とも表記され、太平洋戦争開戦前の1939年に佐伯海軍防備隊の前線基地として造られた。敵の潜水艦の侵入に備え、豊後水道を一望できる山の中腹に大砲3門を据えていた。 海沿いの県道から山道に入り、車で登ること3キロ。「仙崎つつじ公園」に着いた。さらに歩いて10分ほど茂みを進むと、砲台跡地にたどり着いた。眼下に海が広がる景色の美しさに疲れが吹き飛んだ。 デビッドさんが砲台跡を訪れて感じたのは「祖国を守ろうとする日本人の決意」だったという。建設のため山道を往復して資材を運んだ労力や、勾配の急な山に造り上げた技術の高さに心を打たれた―。メールにはそうした思いもつづられていた。 50年前のデビッドさんの感動を身をもって知り、山を下りた。さあ、家族捜しの聞き込みを始めよう。 麓には十数軒の民家があった。どこから訪ねようか決めかねている時、道路脇で畑仕事をしている男性を見つけた。趣旨を説明すると「あの家なら知っているかも」と教えてくれた。 その家の玄関で事情を説明すると、住人の男性は差し出した写真を手に取り、まじまじと見つめた。「これは私の伯母さんや」
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