3度目の対戦に臨む大分舞鶴と天理のOBら=6日、大分市新春日町の豊後企画フィールド
高校ラグビーの名勝負として語り継がれ、歌手松任谷由実さんの「ノーサイド」のモデルになったとされる大分舞鶴―天理(奈良)戦。1984年1月の第63回大会決勝が、伝説の一戦となった。大分舞鶴が終了間際のトライで2点差に迫ったが、決まれば同点で両校優勝となるゴールキックは左にそれ、直後にノーサイド(試合終了)を告げる笛が鳴り響いた。
熱戦から30年後の2014年、天理サイドからの呼びかけで当時のメンバーが集まり、「花園」での再戦が実現した。今度は大分舞鶴が勝利。試合後、「次は還暦の年に大分でやろう」と約束を交わした。
そして2025年12月6日、大分市の豊後企画フィールド。還暦を迎えた両校メンバーは約束通りに集まり、記念ジャージーで整列した。少し前置きが長くなったが、42年越しの「再々戦」の意味合いは伝わっただろうか。
■「走れないし、大丈夫ではない」
ではここからは、ピッチ内外で聞こえた名(迷)言も交え、当日の雰囲気を楽しんでもらいたい。
「走れるか、大丈夫かと心配の声をもらった。走れないし、大丈夫ではない。とにかくお互い、けがだけはしないように。皆さん、温かい応援をお願いします」。試合前のセレモニーでは当時、大分舞鶴3年で実行委員長の井原正文さん(60)があいさつした。
キックオフ直後、天理が技ありのキックパスから先制トライ。ところが開始1分でグラウンドを去るメンバーが1人。「もう交代?」と笑いが湧き起こった。
次は大分舞鶴が見せる。ラックからしぶとくつないでトライを挙げたが、足を痛めたメンバーがグラウンド外へ。交代で入るメンバーに「もう、後はずっと頼むわ」。
■ヒートアップ…でも「ハリーは無理ー」
試合が進むと、両チームとも現役時代を思い出したかのようにヒートアップ。「マイボ(ール)!」「アドバン(テージ)!」と略した用語が飛び交い、観客席からは「ハリー(急げ)、ハリー!」と声が上がる。天理のメンバーが「いやー、ハリーは無理ー」。
「こんなスローなラグビーやったら、ルール分からん人もよう分かるわな」
「おいフォワード、はあ、はあ、再開は、ちょっと待てよ」
「ちゃんと15人おるか。17、8人おってもかまへんぞ」
■固い握手、42年間ずっとノーサイド
20分ハーフ、選手交代自由の再々戦は天理が35―19で勝利。固い握手を交わす還暦の男たちがその瞬間、高校生ラガーマンに見えたのは幻だろうか。
「走れないし、みんなどこか痛い。でも高校時代のサインプレーは覚えているし、バックスでつなぐ展開はできた」。大分舞鶴の右ウイングだった井上博文さん(60)は振り返った。「ラグビーでつながった仲間と再会し、一緒にゲームをした。今日はとにかく最高です」
試合が終わった瞬間、敵味方の区別がなくなるというのが、ノーサイドの本来の意味。3回対戦し、試合終了の笛は3回鳴ったが、本当のノーサイドは1984年なのだろう。彼らは42年間ずっとノーサイドで、これからもずっと仲間なのだ。(宮家大輔)