竹田市の山中に墜落したB29の残骸(1945年5月8日付本紙2面)
米大型爆撃機B29の編隊が、大分、熊本県境付近の上空で日本軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」の追撃を受け、1機が竹田市平田の山中に墜落した。落下傘で脱出して捕虜となった米兵が、九州帝国大(現九州大)で生体解剖実験を受けるなどして犠牲になった。紫電改のパイロット1人も死亡した。
撃墜は「体当たり」とも言われるが、日米両軍の記録から、B29と空中戦に及んだ紫電改は急降下を伴う攻撃で機体に過度な負荷がかかり、強度不足により空中分解したとみられる。
大分市は鶴崎地区などが爆撃を受け死傷者が出た。
(各種資料を基に、1945年の県内の空襲被害を掲載します)
■「空を見上げると宙に落下傘」
B29墜落の目撃証言を本紙連載企画「大分の空襲」(1973年8~9月)から再掲します。
<竹田市 工藤ハツさん>
五月五日、端午のお節句の朝でした。村の鎮守さまに末っ子を抱いて宮参りに行き、明治の小学校前を通って自宅近所の橋のたもとまでくると、ドカンという音でした。
驚いて空を見上げると、落下傘が宙に浮いており、人間がぶらぶらゆれている。その後ろから大きなずうたいのB29がぐらぐらしながら落ちてくる。夢じゃなかろうかと思っていたら、杉林の中から五、六人の小学生がとび出して来て「おばちゃん、こわい」とすがりついて来た。
赤ん坊を抱いているうえに、すがりつかれては身動き出来ない。棒立ちになって見ていると、銀色のずうたいはメラメラ火を噴きながら自宅をめざしている。向こうに見える自宅前のレンゲ畑が、空をおおう機体の影で灰色に変わったかと思うと、ドドーンという地鳴り。自宅裏の山隠に落ちたのだ。続いて阿蘇山が爆発したような火柱と黒煙。空は真っ暗になった。
村々では早鐘が鳴る。急いで自宅に帰りたいが、子供らがしがみついて離れない。その子らを学校の門まで送り届け、夢中で引き返すと、橋のたもとに出て来た警防団員が「おばさん、早う帰らにゃ、あんた方が燃えるがな」といった。
あっちの山、こっちの村から人が出てくる。すると今度は背後からまたすさまじい爆音。ふり返ると一機の小型機がおおいかぶさってくる。「もうだめだ」と立ちすくんでいると、小型機は墜落現場をなめるようにかすめて飛び去った。その機体にあざやかな“日の丸”。確認機を敵機と見間違えたわけだ。
(原文を一部修正、省略しています)