1955年の大分合同新聞の紙面。見出しは「増えた高校生のカツギ屋」
大分合同新聞の昔の記事を検索していたら1955年(昭和30年)11月14日の朝刊に「カツギ屋」の話題が載っていた。カツギ屋とは何だろうか。聞き慣れない単語である。その記事の見出しには「増えた高校生のカツギ屋 豊作ゆえに悪の道」とある。善からぬことに違いない。
日本語大辞典(講談社)でカツギ屋を調べると【担ぎ屋】があり、いくつかある意味の一つにこう書いてあった。
「第二次大戦中から戦後にかけて、統制物資を扱った行商人。米、野菜、魚などをひそかに生産地で買い付け、リュックなどで担いで運搬した」
また、広辞苑(岩波書店)にはこう書いてある。
「野菜、米、魚などを生産地から担いで来て売る人。特に、第二次大戦中や戦後、闇物資を運んできて売った人」
■闇で稼いだゼニで女子生徒に贈り物
「ひそかに」とか「闇物資」がキーワードだ。要するに「高校生が闇商売をやっている」ということのようだ。記事によると、昭和30年は豊作だったらしい。そこで、いっちょうもうけてやろうと考えた農村部の高校生集団が、家から新米をかすめ取り、風呂敷などに包んで市価よりも安く売り歩いているというのだ。
自宅の新米を持ち出すところは手口としては子どものかわいさがにじみ出ているが、そんなことで闇落ちしてはいけない。エスカレートしたケースもあり、他人の家に侵入してのコメ泥棒未遂も数件起きていた。
では、闇で稼いだゼニをいったいどうしていたのか。こんなことに使っていた。女子生徒の歓心を得ようと、ネックレスやブローチを買ったりしていたというから、何とまあ子どもの発想ではないか。しかし、中には花街に繰り出す資金に充てていた者もいたようだ。
■あれはカツギ屋だったんじゃないのか
「へぇ、何か時代が見えるような記事ですね」。11月14日、「あのころに卍固め」生放送前のJCOMスタジオ(大分市金池南)で同僚が感想を述べた。さらに「ウチの母方の実家って、とんでもないくらい何回も泥棒が入って大変だったんです。あれはカツギ屋だったんでしょうかね」と言い始めた。
どういうことかと尋ねた。かれこれ半世紀近く前の幼い頃のこと。その家は大分市中心部からやや郊外にある一軒家。ある日、倉庫からコメが盗まれた。泥棒が入ったのである。チクショウ。しかし、泥棒被害はその一回で終わらなかった。その後、いったい何回やられたかと分からなくなるくらい、コメが盗まれた。
コメだけではない。庭を掘り起こされて、植えていた木が盗まれたこともあった。まさか、そんなことまでするとは。
■ワンちゃんまで盗むとは、やりすぎだ泥棒
「これは防犯対策をしなければ被害は収まらない」と、その家では庭で犬を飼い始めた。ところが、今度は、な、な、何と、その犬が盗まれたというから驚きだ。
一連の話を聞いて「ウソやろ!」と声を上げてしまい、不謹慎だが笑ってしまった。泥棒の野郎、やりすぎだ。
同僚は「おそらく同じ泥棒じゃないかなと思うんです。それで、盗んだ物は闇で売りさばいたんじゃないでしょうかね」とあらためて悔しさをにじませる。「増えた高校生のカツギ屋」の記事を見て、遠い記憶がよみがえったのだった。
外出時は鍵かけを忘れぬよう。また狙われる対象となり得るので、交流サイト(SNS)に不用意に個人情報がバレるような投稿をしたり、旅行で不在にしていることを書き込んだりしないように。闇バイト強盗も怖い。防犯対策は万全にしておかねばならない。
【あのころに卍固め】
JCOMの昼の情報番組「ひるドキ!」の金曜日放送のコーナー。大分合同新聞社の公式ユーチューブチャンネル「大分合同新聞oitatvcom」でも同じ内容を配信中。