保戸島村(現津久見市)の保戸島国民学校が米軍機から爆撃と機銃掃射を受けた。爆弾1発が校舎を直撃。児童124人と教師2人、教師の子1人の計127人が死亡し、75人が重軽傷を負った。県内で民間人の犠牲者が最も多い空襲となった。...
太平洋戦争中に米軍が撮影した映像の収集・解析に取り組んでいる「豊の国宇佐市塾」の織田(おりた)祐輔さん(38)=宇佐市上田=が24日、外国メディア向けにオンラインで講演した。...
太平洋戦争末期に竹田市に墜落したB29爆撃機の搭乗員ら米兵の捕虜8人が実験手術の犠牲になった「九大生体解剖事件」。医学生として手術に立ち会った東野利夫さん(福岡市、享年95)が集めた資料を、福岡市の九州大医学歴史館が公開している。東野さん...
空母を中心とした米海軍の艦隊が、本土上陸作戦をにらんで日本軍の航空基地や艦船を艦載機で攻撃。...
【佐伯】佐伯市本匠の本匠中(9人)で17日、平和授業があった。...
【大分】戦争関連の資料の保存に取り組む米スタンフォード大の上田薫・研究員兼学芸員が来日し、17日、大分市牧の県護国神社へ保管資料の調査に訪れた。...
おおいた演劇の会(清末典子会長)は8月10日午後3時半から、大分市府内町のトヨタカローラ大分祝祭の広場で朗読劇「蝉なきやまず~大分の空襲より~」を上演する。...
原爆犠牲者を追悼する「ノーモアヒバクシャ大分の集い」が15日、大分市金池南のJCOMホルトホール大分であった。県原爆被害者団体協議会(県被団協)が主催。約120人が来場し、広島原爆の被爆証言を聞いた。...
<別府市 飯田哲朗さん> 真夜中の県都に2万発の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ。太平洋戦争末期の1945年7月17日未明にあった大分大空襲。中学3年だった飯田哲朗さん(94)=別府市山の手町=は、現在の大分市都町で爆撃に見舞われた。「経...
空襲体験者の証言を本紙連載企画「大分の空襲」(1973年8~9月)から再掲します。 <大分市府内町 木村ハズさん> 七月十六日の夜半、空襲警報と同時に夫は警防団員として荷場町小学校に出動しました。予感というのか「今夜あたりどうも...
太平洋戦争末期の1945年7月17日、大分市は米大型爆撃機B29による大規模な焼夷(しょうい)弾攻撃を受けた。午前0時過ぎから1時間20分に及ぶ爆撃で、市中心部が焦土と化した。 B29は約2500キロ離れたサイパン島から飛来。計124...
空襲の被害は広範囲に及んだ。特に現在の中央通りの西側にある中央町や都町は多数の焼夷(しょうい)弾が落ち、密集する木造建築物が焼き払われた。 米軍は、現在の国道197号と中央通りが交わる昭和通り交差点を「爆撃中心点」に設定。消火不能な大...
【大分】大分市牧の県護国神社は24日から、境内の史料館「寄須処(よすが)」で、旧日本海軍の戦闘機「ゼロ戦」のエンジンとプロペラを公開する。戦後80年の特別展示で、終戦の日にまつわる資料も併せて紹介する。...
【宇佐】宇佐市上田の市民図書館2階の渡綱記念ギャラリーで、戦後80年の企画展「雑誌『主婦之友』目次から見る戦時下」が開かれている。11日まで。...
戦争反対を訴える市民団体「赤とんぼの会」が、8月15日の終戦の日に合わせて大分合同新聞など4紙に意見広告を出す。今回のテーマは「『あの時は、まだ平和だった』と後悔しないために憲法九条を世界へ」。...
原爆の被爆者を追悼する「ノーモアヒバクシャ大分の集い」が15日午後4時半から、大分市金池南のJCOMホルトホール大分である。...
【東京支社】大分ゆかりの前衛芸術家で作家の赤瀬川原平(1937~2014年)らの戦争体験を投影した作品を集めた「戦後80年 1945年の記憶」展が18日まで、東京・銀座のギャラリー58で開かれている。エッセーの直筆原稿や雑誌に掲載されたペ...
【大分】太平洋戦争の終結を告げる玉音放送の後、大分海軍航空基地から出撃した「最後の特攻」。死亡した隊員の親族で、隊員に関する著書もある道脇紗知さん(46)=福島県いわき市=が6月28日、基地のあった大分市を訪れた。...
臼杵町(現臼杵市)の平清水地区から門前地区にかけて、未明に焼夷(しょうい)弾が投下された。...
【国東】国東市国東町安国寺の「弥生のムラ・市歴史体験学習館」で28日から、企画展「重光葵(まもる)と国東―平和への道―」が開かれる。重光は戦中・戦後にかけて外務大臣を務めた政治家。...
【日出】日出町歴史資料館(平井義人館長)で24日、特集展「戦後80年 近代戦争と日出」が始まった。入場無料。10月19日まで。...
特攻の命令を受けた三浦秀逸さんらの第24振武隊は、1945年春から千葉、大阪、山口へと基地を転々とした。 この頃の手紙には、特攻への覚悟やサクラの花に寄せる思いと併せ、かつての家族での暮らしを懐かしむ記述もある。大阪では伯母の家を訪ね...
1944年12月5日。21歳の三浦秀逸さんは特攻隊員に任命された。この日の手紙は「取急ぎ申し上げます。本日」の後が検閲で黒塗りになっている。かすかに見えるペン先の跡から、「大命を拝しました」と記していたとみられる。 検閲による黒塗りは...
陸軍の特別操縦見習士官(特操)の1期生として飛行訓練を受けていた三浦秀逸さん。1944年春には中国大陸に渡って訓練が続いた。手紙に「見るもの聞くもの珍しきものばかり」「大陸の黄砂のひどい事、今更ながらおどかされました」などと現地の様子を興...
特攻隊員だった三浦秀逸(しゅういつ)さん(享年101)が戦時中に家族へ送った手紙43通の全文を、4回に分けて紹介する。 三浦さんは旧制の高等農林学校から1943年10月に熊本県の大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊へ入った。当時19歳。入...
特攻隊員として戦闘機で出撃し、米軍に救出されて奇跡的に生き延びた元陸軍少尉、三浦秀逸(しゅういつ)さん(享年101)の戦時中の手紙が、佐伯市稲垣の自宅に残っていた。1943年10月に陸軍飛行学校へ入校してから、特攻出撃直前の45年4月まで...
【宇佐】戦争遺構が数多く残る宇佐平野を巡り、戦争の悲惨さや平和について考える「第19回宇佐航空隊平和ウオーク」が17日、宇佐市で開催された。...
核兵器廃絶を訴える28代目の高校生平和大使に、県内から中津市の東九州龍谷高2年の内川桃花さん(16)が選ばれた。...
「この写真は初めて見た。かわいがってくれた兄の笑顔が急に浮かんできた」 大分市の神志那(こうじな)ヒロミさん(89)は4月27日、同市牧の県護国神社で、戦没者の遺影をまとめたアルバムの中に亡き長兄を見つけた。1944年のこの日、南西諸...
【豊後大野】豊後大野市清川町の「きよかわ郷土史研究会」(佐々木栄子会長、5人)は戦争体験者らの手記14本をまとめた冊子「戦後80年苦懐の回想録」(A4判・51ページ)を作った。「若い人らに読んでもらい、平和のありがたさを感じてほしい」と話...
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