搭乗機が撃墜され、落下傘で降下する園部勇さん=豊の国宇佐市塾提供
戦時中、宇佐海軍航空隊で訓練を受け、出撃後に米軍に撃墜されて捕虜になった元特攻隊員、園部勇さん(京都市、享年71)の長女や孫ら8人が、宇佐市を訪れて故人の足跡をたどった。「豊の国宇佐市塾」が収集した米軍の映像に、落下傘で海面に落ちる園部さんの姿が写っていた。本人は戦争について多くを語らなかったといい、当時の様子を知った家族は「命をつないでくれて感謝している」と述べた。
旧海軍の記録などによると、園部さんは志願入隊後、土浦航空隊(茨城県)や宇佐航空隊で訓練を重ね、名古屋航空隊(愛知県)では教員も務めた。
太平洋戦争末期の1945年4月17日、沖縄本島東方の海域で米艦隊へ向けて爆撃機で突撃する際、対空砲火を受けて機体が爆発。空中に投げ出されて落下傘で降下し、米軍に救助された。終戦後に帰国して会社員として暮らし、95年に亡くなった。
豊の国宇佐市塾は地域おこしの一環で、地元にあった宇佐航空隊などの戦争関連資料を収集している。今年3月、報道機関に米軍撮影の映像を公開し、その一つに園部さんが写っていた。孫の奥平佳奈さん(47)=茨城県つくば市=がインターネットで新聞記事を見つけ、訪問につながった。
今月23日、園部さんの長女山本晶子さん(73)=金沢市=や奥平さん、ひ孫らを含めた一行が宇佐市平和資料館などに足を運んだ。同塾のメンバー織田祐輔さん(39)が宇佐航空隊や園部さんの経歴について説明し、映像を見せた。
家族が園部さんの映像を見るのは初めて。パソコンの画面に流すと、全員が食い入るように見つめて「こんな状況の中で生き延びられたのはすごい」と驚いていた。
「父の映像が残っているとは信じられなかった」と山本さん。日本軍は戦時中、捕虜になることを恥としていた。「多くの仲間が戦争で亡くなったのに自分だけ生き残り、つらい思いをしたのではないか。その代わりに日本再興に頑張ったんだろう」と思いをはせた。
奥平さんは「祖父があの時、捕虜にならずに死んでいたら今の自分はいない。映像には命がつながった奇跡の瞬間が写っていた。今回、宇佐を訪ねて良かった」と目を潤ませた。
家族は園部さんが宇佐航空隊にいた時などに撮影された写真や出撃前に記した遺書のコピーを市に寄贈した。園部さんが生前、大事に保管していたという。
織田さんは「これまで多くの映像を解析して公開してきたが、当事者の家族が宇佐まで来たのは初めて。今後の活動の励みになる」と話した。
■県出身者の映像、少なくとも5本
豊の国宇佐市塾は、これまで収集した米軍撮影の戦闘映像の中に、大分県出身者に関係するものが少なくとも5本あることを確認している。いずれも海軍所属の計6人。家族や親族から要望があれば映像を見せることもできる。連絡は同塾ホームページの問い合わせフォームから。
特定できた県出身者は次の通り。(五十音順、敬称略。住所は現在の市名)
▽大塚高夫(竹田市)▽近藤年真(中津市)▽佐藤重男(由布市)▽佐藤直人(竹田市)▽姫野庸(いさお)(大分市)▽姫野忠治(大分市)