2025年10月に亡くなった村山富市元首相。大分市の自宅にあった遺品の中に、首相在任時の日記帳が1冊残っていました。 その中から、阪神大震災の被災地に本人が初めて入った1995年1月19日のページを紹介します。 ※家族の同意を得て掲載しています。ほぼ原文のままで、明らかな誤字は修正しました。判読困難な字は文脈から推測しました。■1月19日兵庫県被災地現地を訪問 9.58羽田発空から自衛隊ヘリコプターで被災地区を視察神戸市ほか被災地の現地を訪問した.学校の講堂等で避難生活をしている方々に逢って話しをしたいと思ったがマスコミが取りかこむ状況で周囲が心配して思うにまかせず引き揚げることになったのは残念病院の四階部分がつぶれているところや焼跡.倒かいした家屋など想像を絶する被害.寒さのきびしいなかでお困りの状況は言葉では語りつくせない状況だ知事.市長関係者に逢い要請をうける自衛隊の出動が遅かったことがとやかく云はれているが.防災に対する平素からの訓練が何によりも大事だと思う.県庁も市庁舎もそして職員の各家庭も被災した状況のなかで.人命救助も火災もままならない状況にあったのではないか.日本列島が特に地震の多い地層にあることを考えると防災対策の全体の見直しはもとより緊急時に即応できる体制はきちんと確立しておく必要がある.初動における機敏な対応が何によりも大切であることを痛感する日に日に死者が増え行方不明者が増える状況に胸が痛む.いずれにしても既存の枠にとらわれず緊急に必要な対策は迅速にやるべし.現地対策本部も設置してほしいとの地元の要請はもっともであり 自治体と一体となって即断即決ができるようにすべきだと思う
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