2025年10月に亡くなった村山富市元首相。大分市の自宅にあった遺品の中に、首相在任時の日記帳が1冊残っていました。 その中から、阪神大震災の発生当日の動きを書き留めた1995年1月17日のページを紹介します。 ※家族の同意を得て掲載しています。ほぼ原文のままで、明らかな誤字は修正しました。判読困難な字は文脈から推測しました。■1月17日朝6時過ぎのNHKテレビで神戸震度6 京都震度5 震源地は淡路島マグニチュード7. との報道があった.これは相当大きな地震だ 被害がなければよいがと心配 直ちに状況を知らせて欲しいと秘書官に連絡. 7.30過ぎに金重秘書官より連絡あり(彼は実父が死亡して福岡に帰っていたのにも拘らず直ちに連絡をよこした)相当広範囲で被害が出る模様(警察消防からの情報)との連絡. 7.40頃 官房長官より連絡.10.00の閣議で非常災害対策本部を設置したい旨 国土庁に指示したとのこと. テレビニュースを見ながら刻々と被害が拡大されていく状況に対し何んとか打つ手はないのか?9.20よりの月例経済報告もそこそこに 10.00よりの閣議で国土庁より被害状況の報告をうけ.直ちに災害対策本部の設置を決定し.国土庁長官を現地に派遣することを決める.閣議終了後.外務大臣.防衛庁長官等と打ち合せ11.30より 三党首と打ち合せ.12.00より 政府与党首脳連絡会議にのぞみ地震対策.当面の国会対策について協議.時間の経過と共に地震被害の拡大に何んとか対策をと考え.三党首で消防庁.国土庁などの担当を呼び現況の報告をうける現地より消防庁長官から電話が入ったので状況を聞くとともに長官に対し「総ての責任はもつ.救援と消火に総力をあげ.やれることは何んでもやりつくしてほしい」と指示.テレビの画像には.火災が多発し.消火も手がつかない現状.倒かいした家屋の下から助けを求めている状況などが報道され 居ても立ってもいられないような気持である
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