宇佐市安心院町に移住して13年になる榑松倫さん。「目に見えない菌が働いて納豆になる。魔法のようで面白い」と話す
宇佐市安心院町松本地区に移り住んで13年。榑松倫(くれまつ りん)さん(40)は納豆屋「大きな豆の木」を営む。店の横には土とわらで「ストローベイルハウス」を造り、家族4人で暮らす。
自身で狩猟し、育てた食材で生活する。消防団の班長を務めるなど、地域に根差した生活を送っている。「都会で金を払ってもできない経験がここではできる」と楽しそうに話す。
東京・世田谷区で生まれ育った都会っ子。大学卒業後、会社勤めなどをする中で「山で暮らしてみたい」と思うようになり、元大分県職員の知人の紹介で2004年に松本地区への移住を決意した。
通称「松本イモリ谷」と呼ばれる同地区だが、移住した年には大豆栽培や集落グリーンツーリズムで天皇杯を受賞した。地区住民に教わりながら、納豆作りや農作物を育てるのはとにかく楽しかった。食卓には自ら狩ったシカやイノシシの肉も並ぶ。「狩ることや作物を育てることはもともと人間の遺伝子に組み込まれているんだと思います。それが発揮されることが充実感につながっている」
充実感は家造りでも感じた。移住当初は地区住民宅に居候していたが、結婚を機に自分の家を建てることを決意。仲間の手も借りながら、約2年かけて「ストローベイル建築法」で建てた。当初は雨漏りや結露がひどく、「雨をしのぐなど、家の機能の大切さを身に染みて感じました」と笑う。
移住当初は「『むらづくり』の意味がわからなかった」と榑松さん。長年住んで地域で生活すること自体がむらづくりに関わっているということに気付いた。地域で自分の子どもの声がすること、水路を維持するためにみんなで清掃すること―。「楽しみながら何げなく送る生活が村を残すことにつながる。地味ですけどそれがむらづくりなんだと思います」
【プロフィル】
東京都世田谷区生まれ。法政大学経済学部を卒業後、家具製造販売会社で働く中で「食に関わる仕事がしたい」と感じ、伊豆大島の製塩工場を経て2004年に安心院町に移住した。捕獲したイノシシやシカを自作のナイフでさばくことにこだわる。40歳。