ミライデザイン宣言ハピカムの当日、出演者の話を聞いていると、高揚感に包まれてワクワクしてきた。こんな人たちがいれば地域は確実に活気づくという確信。そして、若者が都会から地方へ向かっているという流れに大きな希望を持った。
私自身、大分合同新聞の記者として20年間以上、各地で取材してきた。根っこには「地域で豊かに暮らすには」という問いがある。大分市のような都市部から別府、湯布院の観光地、県内の大半を構成する農山漁村などいろいろある。各地で地域に根を張って生きる人や地域づくりの活動を記事にすることで地域活性化の一助になればとペンを走らせてきた。しかしこの間、人口などを指標にすれば地域は衰退の一途をたどるばかり。過疎や少子高齢化、限界集落といったマイナスイメージにあらがえないのかと恨めしくさえ思った。
加速させたのは2005年から始まった「平成の大合併」だろう。かつて県内は58市町村あった。それぞれに首長がいて議会があり、商工会や農協もあった。確かに税金の無駄遣いや小さな悪事もたくさんあった。それでも小さいなりに、中心があり人もお金もよく動いた。何より自分たちの町のことは自分たちで決めていた。それが役場という中心がなくなり、旧郡部、周辺部は核を失い、急速に動きが弱まってしまった。
世相も都会を志向してきた。戦後からの復興、続く工業化社会の進展で労働力として地方の若者を都市へと人口移動を促したのだから国策だろう。入社(1991年)当時はまだバブル景気の余韻が残っており、若者の多くは華やかな東京などの都会に憧れていた。そんな時代を生きた世代が右肩上がりという幻想から抜けられないのかもしれない。
いつの間にか「移住」という正反対のベクトルが働き始めている。若者も含め、都会で働いてきた人たちが田舎を目指す。豊かな衣食住があるという本質論だけでなく、「田舎がかっこいい」というファッション性も備えているところが今風だ。ハピカムのテーマ「移住と共創」では、移住者の魅力的な生き方だけでなく地域での活動に主眼を置いた。力を失いつつある地域が移住者を迎え、元気を取り戻している。旧市町村よりももう一回り小さい地域を舞台にしているのは、顔を識別できる等身大のサイズだからだろう。
地域を変えるのは、「よそ者」「若者」「ばか者」。昭和50年代に起こった由布院の地域づくりで語られたのが最初という。今回のハピカム出演者には「よそ者」の新鮮な視点で、若者の「行動力」を存分に発揮し、「ばか者」故の突破力がある。それでも地域づくりは一人ではできない。仲間をつくり、地域(行政)をどう巻き込むか。移住に関しては、日本全国で大競争時代を迎えた。移住をブームで終わらせてはならない。日本の中心、大分のそれぞれの地域からパラダイム転換を起こそう。大分合同新聞は地域で起こる「移住と共創」の動きを全力で応援していきたい。
ミライデザイン宣言ハピカムコーディネーター
大分合同新聞社編集局次長
佐々木 稔