戸倉 私は「中島信男、横山民幸」。下郷に住みたいと思ったのには、地域のおじさん2人の存在がありました。行政の人以上に世話を焼いてくれ、懐が深くて「やってみたら」という感じのところがある。移住者の生活を面白がってくれます。
柳 連れ回していろんな人に引き合わせてくれたとのことですが、どんなタイミングだったんですか。
戸倉 最初大分に住むつもりはなくて。九州の移住先を探していましたが、夫も私もカメラの仕事をしているので、「半農半カメラ」を考えると、福岡の方が仕事をしやすいのではと思っていました。たまたま大分に来て、立ち寄った耶馬渓のコーヒー店で「東京から来た、農業がしたい」と話し紹介してもらったのが、下郷農協の横山さんでした。後日、横山さんと待ち合わせをして、1日地域を車で回ってくれました。
榑松 「安心院のお父さんお母さん」です。13年前に、東京の世田谷区を50CCのミニバイクで出発しました。テントや寝袋を載せて、1週間くらいかかりました。ちょっと変わり者だと思います。安心院に着いて、居候させてもらったのが「お父さんとお母さん」のところです。訳のわからない若者を受け入れ、住まわせ、3食作ってくれました。私はここに義理がある。それがきっかけで今、ここにいると思っています。
佐々木 よく居候させてくれましたね。
榑松 変わった人たちです(笑)。
柳 家が見つからなかったと。
榑松 いろいろ事情があって、仏壇があるからとか。なかなか空き家がありませんでした。
戸倉 私はその点、タイミング的にラッキーでした。私たちが移住した翌年は空き家がゼロになってしまったので。
>トークセッション2へ続く