< 副知事から知事へ。平松氏は1979(昭和54)年春、最初の知事選に臨んだ。自民、民社、新自由クラブの3党推薦で、共産党の都留忠久氏を破り初当選した。得票は50万6590票、得票率78.2%の圧勝だった >
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回想・平松県政四半世紀
東京一極集中のすさまじい奔流に抗しながら地域活性化、県勢の発展を求めて、ひたすら走り続けた6期・24年。大分県政史上最長、四半世紀に及んだ「平松時代」の幕が下りた。一村一品運動や高速交通体系整備、企業・大学誘致、地方分権、ローカル外交……。大分県はその姿を大きく変えた。激動の日々を平松守彦前知事の証言でつづる。
※大分合同新聞 朝刊1面・県政面の2003年5月1日~7月15日掲載