< 1975年7月21日、定例県議会が開会。冒頭で平松氏の副知事選任案が通った。立木勝知事の体調不安に加えて、エリート官僚の副知事就任。地元では「次期知事選にらみか」との観測がもっぱらだった。31日の県議会一般質問で野尻...
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回想・平松県政四半世紀
東京一極集中のすさまじい奔流に抗しながら地域活性化、県勢の発展を求めて、ひたすら走り続けた6期・24年。大分県政史上最長、四半世紀に及んだ「平松時代」の幕が下りた。一村一品運動や高速交通体系整備、企業・大学誘致、地方分権、ローカル外交……。大分県はその姿を大きく変えた。激動の日々を平松守彦前知事の証言でつづる。
※大分合同新聞 朝刊1面・県政面の2003年5月1日~7月15日掲載