< 1982(昭和57)年の半ばごろから、国政選挙をめぐる動きが慌ただしくなった。自民党の衛藤征士郎参議が6月に衆議院へのくら替えを表明した。一年後に参院選を控えて、県町村会や経済団体の一部が森田克巳県農政部長の担ぎ出し...
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回想・平松県政四半世紀
東京一極集中のすさまじい奔流に抗しながら地域活性化、県勢の発展を求めて、ひたすら走り続けた6期・24年。大分県政史上最長、四半世紀に及んだ「平松時代」の幕が下りた。一村一品運動や高速交通体系整備、企業・大学誘致、地方分権、ローカル外交……。大分県はその姿を大きく変えた。激動の日々を平松守彦前知事の証言でつづる。
※大分合同新聞 朝刊1面・県政面の2003年5月1日~7月15日掲載