12月の「サンデービルヂングマーケット」で、生木を使ったスプーンを販売する堀江宏喜さん
濃尾平野の北、岐阜市街を見下ろす金華山の頂に岐阜城がそびえる。美濃を平定した織田信長はここで「天下布武」を唱えた。信長亡き後、天下を取った徳川家康は美濃を14の大名領、46の旗本領、24の幕府直轄領に分けた。家康は美濃の力を恐れていたと分かる。
「大分には、まちづくり会社の勉強会で訪れました。街のつくりとか雰囲気が岐阜に似ていると思いました。江戸時代の小藩分立の歴史も似ていますね」
こう話すのは、民間まちづくり会社「柳ケ瀬を楽しいまちにする株式会社」取締役で建築士の大前貴裕さん(42)。「中心街の活性化のため、雑居ビルや商店街の空き店舗対策を探る中で目を付けたのがものづくりでした」と続けた。
美濃、飛騨の両国が現在の岐阜県だが、小藩分立で多様な文化が育まれた。高山の木工、美濃の和紙、関の刃物、多治見の陶磁器など、各地に伝統的工芸品が残っている。一時は継承も危ぶまれたが、現在は後継者やものづくりに挑戦する若者を引きつけている。
各地の作り手たちに着目したのが、岐阜市中心街の柳ケ瀬で取り組む「サンデービルヂングマーケット」だ。「作り手に求めるのはクオリティー。補助金をもらわないので公平さはなくていい。出展者は審査します。毎回、100店は落とします」と大前さん。4年目を迎え、昨年末に40回を超えた。各地の作り手たちが第三日曜日は県都・岐阜市を目指すようになった。
生木を使ってスプーンなどを制作する美濃市の堀江宏喜さん(49)は福岡県大牟田市出身。岐阜県各務原市でバスや電車の座席を描く工業デザイナーとして15年間勤めたが、2年前に脱サラして独立。「マーケットで知ってもらい、美濃の教室に来る人も多いです」と作品を見る人にリーフレットを配っていた。
「マーケットは思いだけでもだめ。経済を回さないと人は集まらない」と同社取締役で岐阜大学准教授の出村嘉史さん(41)=土木計画学。出店は名古屋や福井、石川、東京、台湾からもある。ここで人気が出て商店街に出店し、行列のできる店になったケースもある。「公園だと若者は集まるが、柳ケ瀬商店街なら高齢者も買ってくれる。月一をもう少し日常化するのが次の課題」と出村さん。
岐阜駅から名古屋駅まで電車で20分。巨大化する名古屋商圏にのみ込まれて空洞化の進む岐阜市中心街だが、ものづくり市から反転攻勢を目指す。