歩き旅ではテントを持参し、なるべく空の下で眠るようにしている。その方が旅先にスッとなじみ、土地の空気を体で味わえるように思うからだ。
ただ、キャンプ場が周囲にないケースも多く、その場合は宿を借りている。そこでいただく出会いもあり、ありがたく感じる。
このシルバーウイークは山口県萩市から東へ歩いたのだが、道中に借りた宿が味わい深く、長く心に留まりそうな思い出をいただいた。
今回の旅は、以前の旅でたどり着いていたJR萩駅から始めた。萩の城下町までは少しあり、まずはテクテク北に進んだ。途中で小さな水路に差しかかった。水面は浅く、透き通っていた。数メートル間隔で、石の渡しが架かっていた。人1人が渡れる程度。渡しのそばには3段程度の石段があり、水面に接していた。
説明版はなかった。が、この水路は昔、住民の洗濯や炊事で使われていたのだろうと思われた。今はもうその役割を終えてしまっているのだろうが、のどかさと風情をしっかり保っていた。
松下村塾を見学した後、城下町の北側にある素泊まり宿へ向かった。道沿いには白い漆喰(しっくい)の壁の建物や、黒く塗られた板壁が印象的な木造家屋が連なっていた。武家屋敷が並ぶ区域からは離れ、観光客の姿も見当たらなかったが、歴史と暮らしがにじみ好感を抱いた。
宿では着流しの気さくな亭主に迎えられた。少し雑談し、荷物を降ろさせてもらうと、城下中心部の散策に向かった。外様大名の代表格・毛利家が治めていたというだけあって、武家屋敷をはじめ昔ながらの町並みが続いていた。家老格の屋敷門一つとっても風格があり、圧倒された。
地元の居酒屋で夕食をとり、宿に戻る帰り道。とっぷり暮れた夜空の下で、快活な笑い声が聞こえてきた。神社の境内からだった。30人ほどの人々が、テーブルを並べて談笑していた。秋空の下での軽い宴会だろうか。のどかで、ほほ笑ましかった。
間もなく、神社のそばにある宿に戻った。古い日本家屋で、共有スペースとなっている板張りの広間でくつろがせてもらった。やがて亭主が現れ、何をということもなく語り合った。
・・・
亭主は地元の方らしく、言葉の端々から萩のまちへの愛着が感じられた。歴史、自然にも通じ、知らないことだらけの旅人としては非常にありがたかった。いわく、萩は侍の町として知られているが、見どころはそれだけではない。この町の経済は、町人たちが支えてきた。宿のあるこの界隈(かいわい)がその一つだという。浜崎、といった。
昼間に目にした周囲の家並みを思い出し、そういうことかーと膝を打った。武家屋敷ほどに雄々しくはなく、厳かな屋敷門もなかったが、昔ながらのたたずまいを自然な形で残しているという点ではこちらの方が魅力的にも感じた。何より、見る人を引き込む素直な美しさがあった。そのためか、城下町中心部と並んで国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているという。自分が肌で受けた感覚は、おかしくなかったと思った。
話はいつしか、地域を流れる一本の水路にも及んだ。昔から人々が石段を降りて水面に触れ、洗い物などの家事をしていたという。城下からは少し離れており、下級武士らが暮らしていたそうだ。
「お城からは遠いし、屋敷こそ上級武士より小さかったかもしれないけれど、彼らは澄んだ小川のすぐそばで暮らせていた。どっちの暮らしが豊かだったか、分からないですよ」
亭主の言葉に深く共感した。そして、萩駅を出てまもなく遭遇した水路を思い出した。ひょっとして―。亭主のいう「藍場川(あいばがわ)」と場所が一致した。あそこに、そんな営みがあったのか。
共有スペースの壁には一枚のポスターが貼られていた。「〇〇神社」「祭り」というような文字が見えた。何気なく尋ねてみた。地元のお社(やしろ)でしょうか。
「ああ、すぐそばにあるんですよ」
亭主の表情が和んだ。住吉神社といった。萩の人々からとりわけ慕われている神様だという。
そういえば。私は先ほど目にした、境内の宴の様子を語った。とてもにぎやかでしたよ。
「ああ、運動会のことですね」
亭主によると、神社では毎年、地域挙げての運動会が開かれているのだという。たまたま、そのタイミングと重なったようだ。参加は誰でもOKという。夜の宴は、その打ち上げだろうとのことだった。地域から慕われている様子、地域の絆が、あの和やかな笑い声から十分に伝わってきた。素晴らしい地域だ。
亭主との会話を通じ、瞳に映った光景と萩の人々の営みがどんどんつながっていくように感じられ、すがすがしい高揚感に浸った。
翌日早朝、まだ寝静まる宿を一人出立した。そばにある住吉神社が、ぐっと身近に感じられ、拝礼した。3日後、目標としていた島根県益田市に入り、無事に旅を終えた。
・・・
ただ大空の下を歩くだけでは、上記のような理解や気づきはいただけなかった。地域を愛し、街の歩みを内側の視点から語れる方と触れ合えたおかげで、発見も喜びも一層深まったと感じる。今回のように、旅人の好奇心を満たしてくれる素敵な宿や亭主との出会いも貴重な醍醐味(だいごみ)。その魅力にあらためて気づかせてくださった宿の亭主に、感謝している。
(旅師X)
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