「山 水源 を 大切に! お茶畑の広がる豊かな村の自然を守ろう」 京都府南山城村童仙房(どうせんぼう)にある高麗寺国際霊園の土葬墓地に向かう途中、一枚の看板が目に留まった。宇治茶への誇りと、それを育む水への思いが伝わってくる気がした。 村建設環境課の和田武志係長によると、童仙房は上水道が通っておらず、井戸が頼り。イスラム教団体の土葬墓地計画の予定地となった日出町南畑も、生活用水を地下水に依存する点で似通っている。 日出町では、土葬墓地による水質汚染の可能性が議論になってきた。高麗寺国際霊園の近隣住民や茶農家はどう考えているのだろう。 地図アプリの空撮画像で霊園から700メートル強の山間部に濃い緑色をした農地らしき場所を見つけた。現地を訪れると、斜面に広がる3・5ヘクタールの茶畑だった。■反対運動やトラブルなく 「これからの時代、日本人ばかりやのうて海外からたくさんいらっしゃいますし」「こっちで住まはって宗教で土葬が絶対と言うんなら、ないことにはやっていけへんやろうし……と思うねんけどな」 農園主の石川信一さん(54)は土葬墓地に対する考えを説明し、最後は照れくさそうに言葉の端を丸めて笑った。茶農家として7代目だといい、実直な雰囲気が漂う。 「地形上、霊園から水が流れ込むことはない」「産業廃棄物の不法投棄の方が怖い」とも。計画中の反対運動や開設後のトラブルはなかったという。 話題は農家経営の苦労に移り、思いもしない方向に転がった。世界的な健康志向による抹茶ブームに引っ張られ、緑茶も値が爆発的に上がっているらしい。 「結局、それも外人さんが買うてくれはんねんし。お茶も文化やけど土葬も文化やねんから、しょうがないやん、それは」■二十数年前まで土葬が一般的 石川さんがほかに教えてくれたのが、村の歴史的背景だ。 「南山城村史 資料編」は童仙房について「現在も土葬であり、墓掘り人がすでに掘っていた墓穴にひつぎを埋める」と記述している。発行は2002年。少なくとも二十数年前まで土葬が一般的だったようだ。 村内にある地蔵寺の後勝巳(うしろかつみ)住職(81)が最後に土葬に関わったのは18年。90代の男性住民を見送った。村によると、19年に70代くらいの住民が土葬されたとの情報もある。いずれも場所は童仙房と別の地区の墓地だった。 村が21年、高麗寺国際霊園の土葬墓地整備に同意した、わずか2~3年前に当たる。 「土葬はうちとこでもやってきた。わざわざけんか売らんでもよろしいやん」。童仙房の元区長(69)はさばけた口調で話す。 日出町南畑の計画地近くでは40年くらい前に途絶えたと地元の町議が話していた。近年まで地域に土葬文化が残っていたか否かという「下地」の差は大きいのかもしれない。 高麗寺国際霊園は約50年前、火葬墓地として開園し、土葬エリアは増設だった。日出町では一からの計画だ。 元区長は言う。「まあ元々、墓地自体はあったからね。今からよその人が入ってきて始めると言うなら、それは争うかもしれん」
16日付の紙面はこちら