湯布院映画祭を立ち上げたメンバーの一人で、実行委員長を通算33年務めた故・伊藤雄氏(2022年1月急逝、享年70)の自伝。
※大分合同新聞 夕刊シニア面 2015(平成27)年4月28日~2020(令和2)年3月30日掲載
「湯布院発大ヒット」「湯布院発各賞受賞」などと後にうわさが飛び回るようになったきっかけの一本に川島透監督の「竜二」がある。金子正次が鈴木明夫名でシナリオを書き、俳優金子を売り出そうとして自らが製作した映画だった。 1983年、特別...
秋口にドジなことで転倒、骨折。骨粗しょう症が原因で医者からたばこ、女房殿からは酒も止められた。2カ月超、一滴の酒も口にせず、アルコール依存症の疑いは晴れたが、意気上がらず急に10歳は年を取った気分に。映画祭相談役・中谷健太郎さんから「酒断...
年が明けもう1カ月。面白い映画に出合えましたか? 今年もお付き合いください。 さて今回は前々回、少し触れた松田優作さんと盟友石橋凌さんについて書こう。1986年、優作さん初監督作品「ア・ホーマンス」で、抑えたアクションの新しい優作...
今月9日、全国の地方新聞社46社と共同通信社が設けた「第8回地域再生大賞」の表彰式が東京であり、湯布院映画祭実行委員会が九州・沖縄ブロック賞を頂いた。僕は三宮康裕実行委員長のお供をして上京。「映画と湯布院温泉地区の魅力を発信する映画祭を1...
大杉漣さんが死んだ―2月21日夜、居酒屋から出ようとしてなじみの店員さんから聞かされた。大杉さんは同い年だった。「イトウさんは2カ月お兄さんですね」と初対面の第22回湯布院映画祭(1997年)で、優しく渋い声で言われたことを思い出した。 ...
初めて買ったレコードは石川セリが歌う映画「八月の濡(ぬ)れた砂」(1971年)の主題歌EP。気だるい歌声が胸に染みた。彼女の初LP「パセリと野の花」で作曲家・樋口康雄を知り、彼が担当した「赤い鳥逃げた?」(73年)で歌手・原田芳雄と出会っ...
サッカーW杯が近づき、日本でも一大関心事となっているが、僕が思い出すのは前号でも触れた巨匠マキノ雅広監督だ。1993年10月29日、巨匠は日本代表戦をテレビ観戦しながら、「ドーハの悲劇」を知らず、W杯初出場を確信して永遠の眠りに就いたと、...
また関西に地震! 湯布院映画祭にも関西方面に多くの常連さんがいるので心配だ。お見舞い申し上げます。 昔、湯布院の町がダムの底に沈む計画があった。貧しかったのだ。そんな話が飛び交う1961年秋、大蔵映画の70ミリ超大作「太平洋戦争と...
日本は、地球は、どうなっているんだ! 地震、豪雨、猛暑とすさまじい被害の大きさ。被災された方々へお見舞い申し上げます。 湯布院映画祭は今年で43回目。2度の台風直撃に襲われたが、1度も1日も休まず、来られないゲストはいなかった。故...
佐藤浩市フィーバーで始まり井浦新で終わった第43回湯布院映画祭。スターが参加すると祭りは盛り上がります。 今月4日、昭和・平成のスター津川雅彦さんが膨大な出演作と3本の監督作品を残して78歳で死去。「日本映画の父」と呼ばれる牧野省...
「今年、佐藤浩市さんが来たの? 私、昔から大ファンだったのよ。なぜ知らせてくれなかったのよ、会いたかったなあ」。大分市の街角でバッタリ出会った知人女性から言われた。 今年の湯布院映画祭(8月23~26日)は「闘う男 九つの貌(かお...
湯布院映画祭に登場した最大のスターは萬屋錦之介(中村錦之助)さんだろう。戦後の日本映画黄金時代を築いた時代劇俳優。江戸弁のたんかがカッコイイ一心太助シリーズ、自身の成長とともに作られた宮本武蔵5部作、重い過去を背負った股旅物「関の弥太っぺ...
長い間、お世話になっている佐々木史朗プロデューサーが「時の過ぎゆくままに」(ワイズ出版)を上梓(じょうし)。出版パーティーが東京で開かれ、今月中旬に上京。帰路は約束を果たすため大阪、高知に流れることにした。飛行機、新幹線、高速バス、ローカ...
「黒沢満様 長い間お世話になりました。湯布院映画祭ゲストの願いはかないませんでしたが、『ア・ホーマンス』で松田優作さんを口説いていただいたり、ないといわれていた35ミリプリントを探していただいたり、側面から大きなサポートを長年にわたりいた...
正月も遠くなりにけりで、大人向けの良作映画がそろい始め、小生は映画館と居酒屋にせっせと通う通常の生活に戻りました。今年も映画同様、よろしくお願いします。 さて、湯布院映画祭には一番話題となる特別試写作品がある。これは東京を含め全国...
日本映画界で一番伝統のあるキネマ旬報ベストテンの主演男優・女優賞に柄本佑・安藤サクラが初の夫婦同時受賞。毎日映画コンクールのアベック受賞に続く快挙に幼い頃から2人を見ている者の一人としてもうれしい事件だ。祝賀会行くから呼んでよ! ...
映画館のオーナーを夢見た時期があった。自分の好きな映画を毎日上映して見るという、まさに夢想。そこには映写や宣伝など多種多様な映画館業務が欠けていた。もちろん経営も。結局、自主上映会や映画祭を継続することで自己満足したわけだ。だが、果敢に挑...
先月、ロックンローラーであり俳優の内田裕也(享年79)が旅立った。湯布院映画祭の勇姿や僕が知っている2、3の事柄を書き残そう。 裕也さんと初めて会ったのは1981年10月、新宿にっかつ。売れないロック歌手役で出た不良中年の自伝的な...
平成最後の4月、僕はうまい映画と酒を求めて東へ西へ。 7日上京。翌日、荒井晴彦監督3作目の「火口のふたり」試写。出演者は柄本佑と滝内公美の2人だけ。「愛のコリーダ」の現代版か? 東日本大震災後の行き場をなくした若者を若い2人の役者...
前々回「内田裕也さんをしのぶ」原稿で大事なことを忘れていた。1982年、第7回湯布院映画祭のパーティーでの出来事。あのロック命の男が北島三郎の「与作」をフルコーラス歌い喝采を浴びた。これは事件だった。 裕也さんを追うように同じくシ...
第44回湯布院映画祭まで、あと1カ月足らず。もう幾つ寝ると―なんてのんきなことは言ってられない。準備はまだドッサリだ。 先日、本紙既報のように湯布院町で「ゆふいん音楽祭」(8月4日)「湯布院映画祭」(同22~25日)「ゆふいん文化...
第44回湯布院映画祭が昨日終了して、今日はゲストを大分空港へのバスに乗せ、やれやれ。疲れ切って、もう酒は飲めない、もう飲まないって状態だろう。世間も夏休みが終わりに近づき、シネコンにも大人の映画が戻って来る。 31日、9月1日には...
44回目の湯布院の夏。由布市の湯布院庁舎新築工事に伴って、役場機能が上映会場の湯布院公民館に移転しており、ロビーが半分、映画祭として使えず手狭になっていた。例年、ポスターを飾り映画祭一色の雰囲気を盛り上げていたが、映画祭は間借りの様相。さ...
今回は映画祭におけるアクシデント、トラブル、ミスの顛末(てんまつ)です。 第23回の1998年、阪本順治監督の「愚か者 傷だらけの天使」上映後に予告編を上映。その途中に突然の停電。順番を逆にしていて不幸中の幸い。上映会場の公民館だ...
湯布院映画祭の長い歴史の一ページを飾った偉大なる3人の映画人が先月、相次いで永遠の旅路に就いた。 和田誠さんが10月7日、83歳。イラストレーター、エッセイスト、映画監督。「お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ」は映画ファン和田さ...
薬物や女性問題で映画界、テレビ業界が大揺れ。当人の厳罰処分は当然だが、作品の公開延期や撮り直しの自主規制は困ったものだ。多くの人材が、それこそ血のにじむ思いで作り上げた結晶である。作品に罪はない。 「宮本から君へ」の文化庁助成金不...
映画は古典的名画も数々あるが、自分が懸命に生きた時代に出合った映画が個人にとっての名画の場合が多い。「映画は現在進行形の文化である」と誰かが言ったように。それで今回は「無人島にDVDを10本持って行くとしたら」の設定で、僕が愛する日本映画...
この連載もいよいよラスト前。今回は「偏愛する外国映画十選」です。この連載で既に触れたバスター・キートン主演の「探偵学入門」などの一連の作品は除きました。ですから必ずしもベスト十選ではありません。日本公開順です。 〇007ロシアより...
新型コロナウイルス感染拡大で世界中が大変だが、3月2日に上京した。まず昨年ゲストの佐藤現プロデューサーを訪ねて築地の東映ビデオへ。現さんプロデュースの新作は前日クランクアップして、打ち上げの予定だったが中止。撮影中も幾多の試練があったよう...
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