湯布院映画祭を立ち上げたメンバーの一人で、実行委員長を通算33年務めた故・伊藤雄氏(2022年1月急逝、享年70)の自伝。
※大分合同新聞 夕刊シニア面 2015(平成27)年4月28日~2020(令和2)年3月30日掲載
映画館に自発的に通い始めて50年。会社や居酒屋よりも通算年数では長い時間なじみ、僕の人生の大半を占める場所でもある。さらなる映画を求めて始めた湯布院映画祭も今夏で40年。大分を中心に僕が知っている映画についての事柄を書き連ねたいと思う。 ...
府内町は映画館の街だった(前回の地図参照)。洋画封切り劇場の老舗・大分ロマン。「イージーライダー」「明日に向かって撃て」などアメリカン・ニューシネマはここから始まった。「フォロー・ミー」を見た時はうれしくなって「女の子を誘おう。こんなセン...
前回で大分市府内町編は終了したが、同町にはセントラルプラザもあった。1976年に大分オスカーとして文化東映横に進出。連日のオールナイト上映が売りだった。87年には当時の若松通り商店街(現・府内五番街)に面した新館をオープン。東映、東宝の直...
別府市内の映画館は1969年にはストリップ劇場も含めて15館あったが、57年には大分市内の14館を大きく上回る22館(表参照)があり、泉都別府にふさわしい歓楽地のにぎわいを見せていたそうだ。半世紀を過ぎた現在、その面影は消え、かつての栄光...
あす8月26日、第40回湯布院映画祭が前夜祭でスタートする。創成期のドタバタは後日書くとして、今回はその楽しみ方を紹介しよう。 ◆野外で名作観賞 まず前夜祭は、JR由布院駅前での野外上映(午後8時~)。心配なのは台風15号。...
第40回湯布院映画祭は先月末、大いに盛り上がり閉幕した。今年も多くの方々の支援を頂いた。この紙面を借りて厚くお礼申し上げます。しかしながら、毎年最終日のパーティー会場となる健康温泉館の使用が今年限り、と関係当局から通告を受けた。「健康増進...
「映画について語り合う集まりがありませんか」。1969年、本紙の「読者のページ」コーナーに掲載された小さな記事が僕の目に留まった。大分高専3年生の時だった。すぐさま「映画の集まりがなければ一緒につくりませんか」と投稿。これが僕の映画活動の...
1972年、大分市内のアポロ系3館が閉館し、松竹の封切り作品は第2ロキシーへと移行。2番館と呼ばれる再映館は市内から消えた。まだビデオのない時代、封切りを見逃せば2度と見られない。しかも低料金の映画館が消滅し、映画ファンには暗い時代となっ...
1周年を経てもなお、会は低空飛行。事務局は個人の家。ガリ版を買い、チラシや会報を作製。それでも1番の苦労はやはり観客動員。上映作品が古いためポスターは手に入らず、公共掲示板もなかった。スタッフの実家の銭湯に集まり、手書きしたものを張り合わ...
まず年賀状代わりに、僕の2015年ベストテンを――。 〈 日本映画 〉 ①百円の恋(武正晴)①恋人たち(橋口亮輔)③さよなら歌舞伎町(広木隆一)③GONIN/サーガ(石井隆) 〈 外国映画 〉①アメリカン・スナイパー...
大分良い映画を見る会や大分映像センター私写室の活動に刺激を受けたオールドファンの一人が、溝口直(すなお)先生(85)だ。1972年、大分市内に産婦人科医院を開業。約40年間、院長を務めた。京都府立医科大学を卒業しており、大森一樹監督の先輩...
初めて訪れた湯布院の町はひっそりとして、夕暮れ時とあってか、人通りもなく寂しい感じの町だった。今からちょうど40年前の1976年3月。僕は亀の井別荘に、あるじの中谷健太郎さん(82)を訪ねた。健太郎さんとはその前年、大分良い映画を見る会上...
4月16日、大地震が由布市湯布院町を襲った。前回末尾に紹介した「柄本明・湯布院公演」は、その日が上演日で流れてしまった。柄本さんら東京乾電池組も15日に到着、準備万端と安心して寝付いた直後の出来事だった。今回はその2日間の“顛末(てんまつ...
◆支援に感謝し開催へ 震度6弱の激震から1カ月がたった。由布市湯布院町は落ち着きを取り戻しているが、屋根に覆いかぶさったブルーシートや、田植えの時期を迎えても水がためられていない田んぼが目立つ。町を歩く観光客の姿はまばらだ。それでも...
◆どう具体化? 第1回湯布院映画祭開催へ向けて湯布院町側から賛同を得た。次は「実動部隊」となる大分良い映画を見る会と大分高専映画研究会メンバーの説得だ。もちろん、別組織となるので、あくまで個人参加での依頼である。 1976年...
地震の影響が心配された今年の第41回湯布院映画祭(8月24~28日)は、上映会場の由布市湯布院公民館に大きな被害がなかったことから、例年通り行われる。ただ40年間、実行委員約40人を無償で泊めていただいていた中谷健太郎さんの私邸が半壊した...
大分七夕まつり、ゆふいん盆地まつり、それ以上に熱かったリオデジャネイロ五輪、高校野球の甲子園大会が幕を閉じ、いよいよ僕らの祭りの出番だ。三ちゃん(三宮康裕・湯布院映画祭実行委員長)が昔、ラジオに出演した際、「あなたにとって湯布院映画祭は何...
◆湯布院と広島と 第41回湯布院映画祭は、湯布院となじみ深い村川絵梨がクロージング特別試写作品「花芯」(大分市のシネマ5bisで上映中)のヒロインとして登場、「おかえり」と温かく迎えられた。総じて地味な作品、ゲストが並んだが、シンポ...
日本シリーズの熱戦が幕を閉じたが、秋の映画も秀作が並ぶ。先ごろ公開された「お父さんと伊藤さん」(タナダユキ監督)の藤竜也さんは、僕がひそかに兄貴と慕う俳優の1人だ。75歳の今でもバリバリの現役。カッコ良さを残しながら、年相応の老いも見せ、...
もう1人の“兄貴”原田芳雄さんも飛行機嫌いの鉄男君(鉄道好き)だ。第1回湯布院映画祭(1976年)前の「祭りの準備」上映の時には、黒木和雄監督やシナリオライターの中島丈博さんと一緒に飛行機で来たのだが……。しかし映画祭が始まっても芳雄さん...
今年も間もなく終わる。いっぱい酒を飲み、たくさんの映画を見た。まずは僕の2016年ベストテンです。 【日本映画】①溺れるナイフ②モヒカン故郷に帰る③聖の青春④ちはやふる(上の句、下の句)⑤ヤクザと憲法⑥ケンとカズ⑦オーバー・フェン...
映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟(きせき)」の豊後高田市ロケが、2月1日から22日まで行われる。監督は広木隆一、脚本は斉藤ひろしで「きみの友だち」(2008年)や「余命1カ月の花嫁」(09年)などを手掛けたゴールデンコンビ。2人とも湯布院映画祭の...
1997年、別府出身の椎井友紀子プロデューサーから電話があった。阪本順治監督「愚か者 傷だらけの天使」(公開98年)の主役・真木蔵人さんが九州出身の設定で、電話で話す酔っぱらいのオヤジ役の出演依頼だった。椎井さんがテープレコーダーを担いで...
◆朝まで飲み明かす 1980年、第5回湯布院映画祭に初めて同世代の若い監督や俳優たちが登場した。特別試写作品「狂い咲きサンダーロード」(37年ぶりに別府ブルーバードでデジタル修復版を公開中)の石井聡互(岳龍)監督や、「サード」(78...
◆見逃せない役者 熊本・大分地震から1年が過ぎた。湯布院に観光客は戻り、一見、地震前の状態に見えるが、休業、あるいは改装途中の旅館もまだまだあるようだ。中止となった「柄本明湯布院公演」も実現していない。柄本さんが「アイ・シャル・リタ...
お待たせしました。柄本明さんの「授業」湯布院公演が7月1日午後2時、同6時に決まりました。昨年中止となった入場券はそのまま使えます。若干の追加販売をしますが、今しばらくお待ちください。近く本紙にて発表します。 さて映画の話です。「...
前回、生涯のベストワンとしてバスター・キートンの作品を挙げた。16ミリフィルム4本とビデオ、レーザーディスク、DVDをそれぞれ全作品所有する身としてはキートンを挙げずにはいられなかった。逆に「日本映画のベストワンは?」と必然的に問われるの...
柄本明さん主演の舞台「授業」の湯布院公演は1日、柄本さんのすさまじい怪演に観客全員が圧倒され、興奮のうちに幕を閉じた。主催者代表の中谷健太郎が膝を骨折して病院から車いすで現れるハプニングはあったものの、柄本さんの「(昨年の)地震への敵討ち...
三島有紀子監督、荒井晴彦脚本の特別上映作品「幼な子われらに生まれ」を大トリに第42回湯布院映画祭は27日、盛況のうちに幕を閉じた。大分市内で上映中にもかかわらず、シネマ5のご好意により映画祭で上映実現となった。感謝! 互いに再婚同...
湯布院映画祭は県出身者だからといって優遇や忖度(そんたく)をしてゲスト招待を決めることはない。参加者は全国から集まるからだ。映画祭初期、あるベテラン監督が「俺は大分県出身だぞ。なぜ呼んでくれないのか」と当時、実行委員会顧問の中谷健太郎に迫...
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