「妻へ感謝の手紙を書きたかった」。2020年の本紙で、当時84歳の西畑保さん(奈良市)の卒業式を報じている。義務教育を受けられず、文字の読み書きができないことで苦労を重ねた。...
「あなたの人生の目的は何ですか?」。少し前の話だが、ある高校で開かれた出前授業はそんな問いかけから始まった▼目指すものが明確であれば、幾つかある選択肢の中からベストと思える道を選べる。確かにそうだ。...
初詣にふさわしく雲一つない好天だった。最寄りの神社に行くと神楽を奉納していた。...
寝正月なんてとんでもない。昔は年神さまを迎えるため、元日(現在の暦でいう12月31日の日没から1月1日の日没)は寝ずの番で火を絶やさないようにしていた。大変だったんだね。...
雑煮の専門店を訪れたことがある。長崎県・島原に由来するとのことで、大きな丸餅がのっていた。雑煮で島原の乱を持ちこたえたとの逸話もあるという。...
きょうで別れを告げる2024(令和6)年は「昭和99年」になぞらえられもした。...
春高楼(こうろう)の花の宴/めぐる盃(さかずき)影さして/千代の松が枝わけいでし/昔の光いまいずこ―。大分県にゆかりの深い、滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞の「荒城の月」が世界の注目が集まるノルウェーの場で披露された。...
真冬の大分市の街中に、砂浜のコートが出現した。選手たちは砂を飛ばすなどして風を読みながら、指でサインを交わしつつ熱戦を繰り広げた▼大分市で開かれたデフビーチバレーボールの国際親善大会。...
懐かしい。そう感じるものが姿を消していくのは時代の流れと諦めるしかないだろうか。...
ダイコンは「オホネ(大根)」として『日本書紀』に登場するほど古くからの付き合い。貧しい庶民の主食だった。「大根役者」という言葉の由来は、「いくら食べてもあたらない(中毒しない)」とする説もある。失礼な。...
「家族のためにより良い収入を」と日本に来たフィリピン出身の女性。技能実習生として県内の酪農家で働き「日本で学んだ最も大切なことは『働くことの意味』。...
交響楽団と大合唱団。年末にふさわしい光景だと思うのは、半世紀近い歴史を刻んだからだろう。県民に親しまれた大分第九の夕べは、22日の第46回公演がファイナルだった▼ベートーベン作曲の第九は初演から200年。...
『賢者の贈り物』といえばオー・ヘンリーの名作。この時季になると思い出す人は少なくないだろう。...
「集えば必ず『広島高師の山男』を仲間と歌い、それぞれの思いを共有していました」。そんな文面の郵便物が岡山県から届いた。...
貧乏旗本の三男坊に姿を変え、庶民に紛れて江戸の悪をただす。「暴れん坊将軍」の新作を新春に放映するということで話題になっている。勧善懲悪の時代劇は、世を忍ぶ仮の姿から最後に素性を明かして一件落着。...
冬らしい寒さの到来。朝夕、空気の冷たさが首筋から伝わってくる。随分日が短いと思っていたらあっという間に「冬至」。太陽の及ぶ力が最も弱くなる日ともいえる。...
日本の新聞の普及期、福沢諭吉は商人に対して新聞に広告を出すことの大切さを説いた。...
ゴリラの学名はもちろん「ゴリラ」。ニシゴリラだと「ゴリラ・ゴリラ」、ニシローランドゴリラでは「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ」となる。ここまでで何回ゴリラと言っただろう▼というのも面白い人生アドバイスを見つけたから。...
料理は苦手。でも鍋奉行だけは役目を仰せつかる。そんな世のお父さんは多いのではないか。筆者の場合は肉や魚、ざく切りの野菜をポンポン放り込むだけ。レシピいらずで失敗はまずない。...
以前読んだ『戒厳令の夜』を思い出した。奇想天外なフィクション。私兵の武装集団を制圧するため自衛隊が出動する場面が出てくる。...
永井荷風はスペイン風邪に長く苦しめられた。『断腸亭日乗』に顛末(てんまつ)を記す。1918年の11月に「突然悪寒をおぼえ」、病床に就く。翌年1月には40度の高熱。...
健康診断の結果から、メタボリック症候群と高血圧の2点について、保健指導を受けた。若い頃はどちらかといえば痩せ型の方だったが、長年の不摂生が腹回りに着実に蓄積し、塩分を控えるようにともご指導をいただいた。...
「きん」と読むか「かね」と読むか。今年の漢字に選ばれたのは「金」。日本漢字能力検定協会によると22万票を超す応募の中で約1万2千票を集めた。...
クイズという言葉は造語だという説がある。18世紀末のダブリンである人が友人と「無意味な新しい単語を24間以内にはやらせられるか」という賭けをして、「quiz」と書いた紙を町中に配ったことからという。...
奇想天外でポップ。グロテスクやユーモア。多彩な作品から、なんとも不思議な感覚を受け取ることができる「ダリ展」。天才と呼ばれた才能と魅力に触れられる。サルバドール・ダリ(1904~89年)の生誕120年。...
生きていてよかった。1955年、広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会に参加した被爆者が心境を語った。被爆から10年、被害者でありながら沈黙を強いられてきた。...
「色づくことを忘れたかのような山々の装いは一変し、遅い秋を謳歌(おうか)している」。耶馬渓方面の知人からそんなメールが届いたのは今月初めのこと。身近な所でも紅葉狩りがまだ間に合うかもしれない―。...
戦争を始めれば国は滅びてしまう―。そんな非戦派の主張は封じられ、日本は大国アメリカに先制攻撃を仕掛けて太平洋戦争の悲劇に突き進む。...
江戸時代に「そばを食べると当たって死ぬ」とのうわさが流れた。怖がってそばを食べる人が激減。...
骨を折った。文字通り。不注意で階段を踏み外した。診察から即入院という初めての経験。1カ月間という長期入院も初体験だった。当初は立つことはおろか寝返りすらうてないありさま。...
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