〈さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢(あ)うまでの遠い約束〉なのだろうか。薬師丸ひろ子はヒット曲『セーラー服と機関銃』で歌う。〈夢のいた場所に未練残しても心寒いだけさ〉。...
引退、解散、卒業…。どの界隈(かいわい)でも、推しが一線を引くのはつらい。女性3人組の人気音楽グループPerfume(パフューム)が活動休止を発表した。近未来的なテクノサウンド、完璧にシンクロする洗練された振り付け…。...
「コンサバ(コンサバティブ、保守的)」がひと頃もてはやされた。落ち着きのあるファッションだったり、控えめな性格だったり。...
He takes too many liberties.「彼はとても多くの自由を手にする」と訳せそうだが、そうではない。「彼はずうずうしい」という意である▼英単語を見つめれば言わんとすることが分かる。...
鉛筆のように痩せ細っていたサンマが、昔の姿で戻ってきた。小ぶりな上に不漁が続いていたが、今年は例年より太めで水揚げも好調。...
苗半作。そんな言葉を家庭菜園の大先輩から教わった。苗の出来、不出来によって作柄の半分が決まるという。...
中国の故事にある。〈笑う者は測るべからざるなり〉。いつも笑顔の人は真意が分からず恐ろしい、という意である▼自民党初の女性総裁になった高市早苗氏(64)は、言葉を述べる際に「作り笑い」をよく挟む。...
季節は巡る。スーパーの棚から冷やし中華が姿を消し、早くもおでんの具材が並び始めた。さっそく今季初のおでんにありついた。...
初めて口にしたのは高校生、いやもっと前だった。むろん晩酌ではない。...
高度経済成長の光と影が交錯していた1970年、大阪万博が開かれた。...
キラキラネームが減ったか。改正戸籍法で一定のルールが定められたし、昨年の名前ランキングを見ても少なくなった気がする。...
秋田県知事が四国のじゃこ天は貧乏くさいと発言、謝罪したのは一昨年。失言を逆手に取った四国側首長らの機転で合同物産展が開かれ、事なきを得た▼今夏は新潟県上越市長が兵庫県三田市の「米はまずい」と述べ、即座に謝罪した。...
児童書『おしりたんてい』(ポプラ社)は累計3千万部を超える大ヒットシリーズである。顔の形がお尻に見える名探偵が数々の事件、難題をププッと解決する▼口癖は「フーム、においますね」。...
誰が名付けたか、テレビ番組に「飯テロドラマ」というカテゴリーがある。初回放送は深夜。...
米天文学者パーシバル・ローウェル(1855~1916年)は、熱心な火星人論者として有名だった。その文明は地球人をしのぐと主張。...
それにしても目まぐるしい。9人が立候補して盛り上がりを演出した昨年の自民党総裁選から、わずか1年でまた総裁選。今回は少数与党として、参院選大敗の後遺症も抱えた状況である▼4人減った立候補者は前回に続く再挑戦。...
「百万ドルの夜景」は本来は「とても美しい」という意味ではない。...
墓参りにでも行く途中だったのかもしれない。休日に立ち寄った雑貨店で、女性客が「マッチありますか」と尋ねていた。店員が案内していたから今も売られているようだ▼物心ついた頃には使い捨てライターが幅を利かせていた。...
長州出身の若者5人が幕末期に国禁を破り、英国へ渡ったのは1863年であった。日本史に名を残す「長州ファイブ」である▼1年の密航留学で西洋の近代文明を学んだ。...
胸に当てた左手の甲か左頬を右手で回すように2回さする。手話で「大事」という意味。県内には5千人以上の聴覚障害者がいる。筆談が苦手な人もいるため、文字表示がないときの意思疎通手段としては手話が適している。...
大分市新春日町近辺の住吉川にカルガモがいる。アオサギがいる。セキレイがいる。カメがいる。魚がいる。...
「グリズリー」(1976年、米国)という映画があった。巨大なハイイログマ(グリズリー)が次々に人を襲う、当時流行のパニック映画。...
まろやかな冷気をまとった朝晩の風が、どこからか虫たちの求愛歌を運んでくる今日この頃。秋ナスが旬を迎えている▼日差しが幾分マイルドになってから育つ。皮がつるんと薄く柔らかく、しっとり水分を含んで甘い。...
囲碁は4千年ほど前に中国で始まり、5世紀ごろに日本に伝わったとされる。駄目、布石、捨て石、八百長、一目置くなど、囲碁をルーツとする慣用句が多く使われていることから、いかに親しまれてきたかが分かる。...
カボチャがおいしくなっていく季節。夏場の収穫後、秋から冬へと、熟成するほど甘みが増す。日本でそのルーツは戦国大名、大友宗麟の時代にさかのぼる▼ポルトガル船が豊後国を往来した欧州の大航海時代。...
「目指すはチャーミングで元気な老人。年寄りは謙虚であれ。助けてあげたいと思ってもらえるようなジジイ、ババアになるべき」。タレント毒蝮三太夫さん(89)の毒舌が止まらない。...
今はなき別府市営温泉プールがラクテンチ下の原町にお目見えしたのは、69年前の1956(昭和31)年春である。...
「150円カレー」が姿を消す―。昭和も残りわずかなバブル経済のさなか、トキハ(大分市)の大食堂の話題。小紙5日付の「昭和100年おおいたアーカイブス」(1988年9月)で知った▼17年間のロングセラーだったという。...
ありゃりゃ、と外野で笑ってしまった大分県民もいよう。失礼ながら、例の伊東市長(静岡県)の学歴詐称疑惑である。こともあろうに市議会は解散させられてしまった▼これほどの泥沼は夢想だにしなかっただろう。...
〈今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい〉。2001年9月11日に起きた米同時多発テロの後、世界中に広がった詩の一節だ。タイトルは『最後だとわかっていたなら』。...
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