【戦後80年20紙企画 あの時私は】九州・沖縄の記者 「被爆者なき時代へ責任」「平和のため学ぶ」

【写真上段左から】佐賀新聞の樋渡光憲記者、長崎新聞の手島聡志記者、沖縄タイムスの當銘悠記者【写真下段左から】八重山毎日新聞の﨑山拓真記者、大分合同新聞の佐藤光里記者、大分合同新聞の松尾祐哉記者
【写真上段左から】佐賀新聞の樋渡光憲記者、長崎新聞の手島聡志記者、沖縄タイムスの當銘悠記者【写真下段左から】八重山毎日新聞の﨑山拓真記者、大分合同新聞の佐藤光里記者、大分合同新聞の松尾祐哉記者

 全国の20新聞社が連携し、80年前の戦争体験を伝えるリレー企画「あの時私は」。取材に携わった全20紙の記者の声を紹介する。(記事中の戦争体験者の年齢は掲載時)

<佐賀新聞・樋渡光憲(52)>
 佐賀県鳥栖市の鉄道施設や軍需工場が爆撃された鳥栖空襲は、当時の地図と町並みが変わり、爆撃された工場は今はなく、当時の正確な状況を把握する難しさを感じた。
 そんな中、取材した牛島啓爾さん(88)は「鳥栖空襲のことをほかに語れる人がいなくなった」として3年前から体験談を語り始めた方だった。
 119人以上が犠牲になったが、「鳥栖にも爆弾が落ちたの?」と驚く子もいて「みんな広島、長崎の原爆のことは授業で知っているが、ほかは知らない」と語る元社会科教師の牛島さんの表情が印象に残った。
 あとどれだけの取材機会が残されているかは分からないが、体験談を記事に残し、後世に伝える重要性を改めて感じた取材だった。

<長崎新聞・手島聡志(30)>
 原爆は人の命を奪うだけでなく、放射線や熱線でその後の人生にも甚大な影響を及ぼす。まさに、「究極の人権侵害だ」。取材した長崎県新上五島町の白岩八千子さん(95)の人生は、そのことを象徴している。
 15歳で被爆。自宅は火災で跡形もなくなった。爆心地近くを流れる浦上川には大量の遺体。凄絶(せいぜつ)な光景が記憶に残る。
 肝臓病や肺結核などに苦しんだ。長男は生まれつきの脳性まひ。原爆の遺伝的な影響ではなかったが、不安を感じたことはあった。
 「最後のつもりで語った」という白岩さん。取材の終わりに「お話できて良かった」とほっとした顔を浮かべた。被爆者なき時代は迫る。託された思いをつなぐ責任を強くしている。

<沖縄タイムス・當銘悠(31)>
 企画に登場した83~99歳の29人の語りで、国内各地の戦争の一端を知った。空襲や砲撃、飢えや感染症などで罪もない人々の命や財産が奪われた。改めて感じたのは、80年が過ぎても人々の記憶は鮮明で、心にうずく傷を抱えながら生きてきたことだ。
 私は沖縄・渡嘉敷島で「集団自決(強制集団死)」を体験した大城静子さん(91)を取材した。死の淵に追い込まれた住民たちが、家族や親戚を手にかけた。今でも脳裏に浮かんで眠れない夜があるというあの日のことを涙ぐみながら話してくれた。
 体験者が身も心も削りながら絞り出した証言から、その姿から、私たちは歴史の過ちを学んできた。記憶の風化が叫ばれるが、諦めない。託された思い、警句を次世代に届けるため、ペンの力を信じてもがき続けたい。

<八重山毎日新聞・﨑山拓真(32)>
 島民の3人に1人が犠牲となった「八重山戦争マラリア」を伝えようと臨んだこの企画。取材を通して、軍命に翻弄(ほんろう)され続けた苦しみ、大切な人を失う悲しみに触れた。
 「子や孫に同じ苦しみを味わわせたくないさ」―。強制疎開によるマラリアで最愛の母を亡くした波照間シゲさん(87)=竹富町波照間島=の言葉が胸を突いた。
 波照間さんのように「あの時」を知る体験者が年々少なくなっている。だがやるべきことはまだある。風化させないために孫世代である私たちが苦しみを知り、痛みに寄り添って、語り継がなければならない。託された記憶のバトンを未来につなぎたい。

<大分合同新聞・佐藤光里(27)>
 大分の空襲について取材をして、自分の住む町で大きな空襲があったことを初めて知った。大分市に軍事工場や基地があったことも知らなかった。広島と長崎の原爆、沖縄での地上戦など、戦争はどこか遠くの出来事のように感じていた。
 話を聞かせてくれた外山健一さん(87)は当時、小学2年だった。その小さな子が80年たっても戦争の恐怖を鮮明に覚えていた。
 体験者の中には「戦争を知らない世代に話して、どこまで伝わるのか」と感じている人もいた。「今の若い人には分からないと思うけど」「想像できないでしょ」といった声もよく聞いた。80年続いた平和を途絶えさせないために、全ては分からなくても、自分の持つ想像力を最大限使ってこれからも学びたい。

<大分合同新聞・松尾祐哉(27)>
 取材した大分市の和田秀隆さん(89)は、太平洋戦争末期に侵攻してきたソ連軍に追われながら、朝鮮半島北部から命からがら家族と共に帰国した体験を語ってくれた。
 「逃げないと」という思いだけでとにかく南を目指した逃避行。「決断が遅ければ助からなかっただろう」と話す姿に、当時の逼迫(ひっぱく)した状況が鮮明に伝わってきた。80年が過ぎた今でも記憶に残るほどの恐怖と命がけの体験を聞いて衝撃を受けた。
 後日、記事を見た母から連絡があった。「あなたの曽祖父も満州から引き揚げてきたのよ」。初めて知って驚いた。今、私自身の命があるのも、当時を生き抜いてくれた人がいるおかげだと改めて感じた。

 × × ×

 参加した20紙は次の通り。(五十音順)
 秋田魁新報、茨城新聞、岩手日報、愛媛新聞、大分合同新聞、沖縄タイムス、神奈川新聞、岐阜新聞、京都新聞、高知新聞、佐賀新聞、信濃毎日新聞、下野新聞、上毛新聞、徳島新聞、長崎新聞、新潟日報、福島民報、八重山毎日新聞、山梨日日新聞

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