2008年6月に発覚した県教委汚職事件は、贈収賄で教育者8人に有罪判決が下されるなど全国を震撼させた。「あの事件」は大分県の教育をどう変えたのか。教職員は何を思い、どんな気持ちで子どもと向き合っているのか。不正の温床とされた教育委員会は今、どうなっているのか。事件を振り返りながら、時代の波に翻弄(ほんろう)される教育現場をルポした年間企画。2010年度日本新聞協会賞候補作品。
※大分合同新聞 朝刊社会面 2009(平成21)年6月16日~2010(平成22)年4月18日掲載
古くから交通の要衝として栄えた臨海工業都市は、その日も気温25度を超える「夏日」を記録した。 大分県から車や列車で数時間の、海に面する九州有数のベッドタウン。強い季節風が深緑の山肌を洗っている。 空が朱色に染まった。 この街に...
夜が更けても、元県教委義務教育課参事のEが働く物販店は客足が絶えなかった。 「今になって、もう何をどう説明したってしょうがない。すべて言い訳に聞こえるし、自分が惨めになるだけやし…」 屋外の駐車場。Eは静かに、頭上の白熱灯を見...
着古した白いポロシャツ。 左胸には「大分県少年の船」のロゴが入っていた。 ポケットが横に付いた濃紺のワークパンツに、白いジョギングシューズ。 そこが教室なら、格好は先生に見える。...
夢があった。それが野心だったのかは分からない。ただ、あの時はあこがれた。 「おまえ、教育委員会で力を試してみらんか」「学校でうずもれたらダメや」。尊敬する先輩から声を掛けられた。働き盛りの40代前半だった。...
常軌を逸していた。 教員採用の1次試験が終わると、上層部から大量の“指示”が下りてくる。 「〇〇を通せ」 「××を入れろ」 「△△を頼む」 いかに巧みに、迅速かつ的確にデータを操るか。...
2008年12月12日、大分地裁での判決公判。宮本孝文裁判長の低い声が響いた。 〈 教員採用試験で不正の合否決定が組織的、常態的に行われていたことが発覚した。...
あまりにひどすぎる。 そう感じ、教員採用のデータ改ざんを中断したこともある。反発し、直談判もした。 試験結果は最低レベル。「こんな人を入れてたら現場が困る。勘弁してください」 当時の上司は譲らなかった。 「こいつは絶対通さ...
県教委汚職事件で有罪となった元義務教育課参事のEは、大分から遠く離れた県外でひっそりと暮らしている。 最近やっと落ち着きを取り戻し始めたが、いまだに解せないことがある。...
あの“背信の衝撃”から、はや1年が過ぎた。 「聖職」であるべき教員同士の贈収賄。底無しの不正に国民はあきれ、その腐敗ぶりに県民は憤った。...
2009年の新春だった。 収賄の有罪判決が確定した元県教委義務教育課参事のEは、別府市内の家を出た。 一生を懸けて罪を償いたい。あの事件のことは、自分自身の中だけで封印しよう。 今はそう思いながら、県外で暮らしてはいる。...
待ち合わせたイタリアンレストランで、周りを気にすることもなく話し始めた。 「当然のこととしてやってました。もちろん、これまでに何人かの先生を『差し込んだ』ことはあります」 彼に悪びれた様子は見られない。...
国会議員の秘書時代、彼は教育委員会に“要望”を申し入れる「口利き」の伝令・実行役だった。 当時、罪悪感はまったくなかったし、今も同じだという。 「その世界に長くいると、正直言って口利きは断れない。...
黒革張りのソファにどかりと座った。コーヒーに砂糖を入れ、スプーンでかき回す。 「あの事件以降、世間は口利き、口利きと言うが、何をもって口利きとするか。われわれには執行権がない。口を利いたからといっても“お上”がどう判断するか。...
何年前だったろうか。 ある日、支援者が自分を訪ねてきた。子どもが大分県の教員採用試験を受けるという。「先生、何とかお願いします。つまらないものですが、これはほんの気持ちですので……」 菓子折りを受け取った。...
「まず保護者が1次試験の前に頼みに来る。そやなぁ、ほとんどが知り合いや。本人からの依頼はまったくない」 「持ってきた履歴書を見ながら名前や経歴なんかを確認し、今はどこの学校でいつから臨時講師をしよんのかを聞く。...
バッジを着けてかれこれ15年以上になる。ベテラン市議の証言は生々しい。 「教員採用試験で口利きをした人の合格率は……ざっと8割ぐらいかな。ただ、その年は駄目でも翌年や翌々年には必ず通る。そう考えれば効果は100%や。...
県教委汚職事件では、教員の不正採用などに絡む贈収賄で教育者8人が有罪となった。 当時、法廷に立った元被告の1人はこう語る。 「事件の組織的な背景など、マスコミの皆さんが半ば懐疑的に報じた“予想”は外れていない。...
正面から力業で押してくる強引派。逃げ道を確保した上で擦り寄る技巧派。教員人事で口利きをしてくる人たちには、それぞれのタイプがあるという。 「手慣れた人の場合、口利きに関して“証拠”を残さない。...
あと数年で古希を迎える。県教委時代、ナンバー2の教育次長を務めた。 口利きの数々は、今でも鮮明に覚えている。「県議が次長室にやって来ましてね。『知り合いが受けましたから、よろしく』と、受験者名と受験番号を書いた紙を渡された」 ...
過熱報道が続いた県教委汚職事件の中で、その証言は日本列島を震撼(しんかん)させた。 「県議や国会議員、市町村教育長に体育協会関係者……。...
「もう話してもいいと思う」と、元県教委職員の男性が口を開いた。あれは県内の教育事務所に勤務していたときの出来事だ。 教員の異動シーズン。臨時講師の配置先を決めるため、人事係の職員みんなで地元の旅館に泊まり込んだ。...
県教委の職員だった彼は、県内の教育事務所勤務時代、その地域の小・中学校人事を担当していた。 旅館に泊まり込んで臨時講師の配置を「自分1人で考えた」後、所長に呼ばれた。 「君は誰のために働きよんのか」 「もちろん、教職員や県...
教員採用、さらには校長・教頭の任用、人事異動……。 長い間、「口利き」は希望をスムーズにかなえるための“必須条件”とされた。 県教委の元幹部は語る。「ある時期、教育長が代わってから雰囲気も変わった。...
県教委汚職の発覚から1年がたった2009年6月15日。県庁本館4階の第1応接室に、県内の報道陣約20人が集まった。 広瀬勝貞知事の定例会見は定刻通り、午後1時半から始まった。話題が「口利き」に及んだのは、一通りの県政報告を終えた後だっ...
「今回の事件は義務(教育)制での出来事だったが、当然のように不正は高校でもある。みんなヒヤヒヤしてたはずや」と語るのは、PTA団体の元役員である。 「教員人事での金銭の授受は昔からあった。それは知る人ぞ知る事実。...
県教委の要職に就き、進学校の高校長も務めた。 県教育界に長く身を置いていたからこそ、じくじたる思いで汚職事件を見聞きしてきた。 言いたいことは山とある。 「とんでもないことをしてくれた。大分県の教育は1年間、機能マヒに陥った。...
元教育次長の話――。 「ある教育長は教職員2課(当時)に力を持っていた。高校の採用、昇任、人事異動のすべてを取り仕切り、義務(教育)にはほとんど口を出さなかった。彼にとっては関心がなかったのだろう」 「その教育長はかなり強引だった...
穏やかな口調だった。県教委汚職にまつわるインタビュー。 「長期政権を築き、組織の裏を知り尽くしていた」(教育関係者)とされる元県教育長は、丁寧に質問に応じた。 ――現役時代、どんな口利きがあったのか。...
なぜ県教委汚職事件は起きたのか。 「組織の逆立ち現象が起きた。それが一因」と話すのは元教育長の大学教授だ。 「教育界は本来、学校現場や指導班こそ大事にしなければならない。...
今回の汚職事件により、県教育界は計り知れないダメージを被った。 「確かに打撃は大きい。しかし、いつかはウミを出さなければならなかった……」。元県教委幹部の1人は「表面化したことは結果的に良かったのかもしれない」と吐露する。...
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