大分合同新聞社が創刊120周年記念企画の一環として選定した「おおいた遺産」を紹介した長期連載。「おおいた遺産」は「未来に残したい大分はありませんか」と広く公募し、学識経験者やツーリズム関係者らの「おおいた遺産選定委員会」が120件を選んだ。
※大分合同新聞 夕刊1面 2007(平成19)年4月2日~2011(平成23)年12月21日掲載
久留米から約80km、大分から約75km、JR久大線のほぼ真ん中に豊後森駅(玖珠町)がある。この条件が、機関庫を置くための最大の要点となった。加えて、場所は玖珠盆地のど真ん中の平野。用地にも恵まれていた。 蒸気機関車の時代、長く走るた...
一口に耶馬渓と呼んでも範囲は広い。国の名勝として指定されている範囲も中津市から宇佐市、日田市、玖珠町、九重町に及び、一般に「耶馬十渓」に区分されている。その中心となるのが本耶馬渓、なかんずく青の洞門と競秀峰である。 耶馬渓の名付け親は...
本耶馬渓の観光拠点である競秀峰・青の洞門から少しさかのぼり、山国川支流の跡田川を入ると羅漢寺がある。観光的にはセットとされることが多い。 「鎮西(ちんぜい)羅漢の法窟(ほうくつ)」とされる寺は、険しい岩峰・岩壁の中腹に仏域を設け、いつ...
鶴崎は江戸時代に肥後・熊本藩が瀬戸内海への玄関として豊後に設けた港町である。1601(慶長6)年、肥後に入った加藤清正は、豊後国のうち久住、野津原、鶴崎、佐賀関などに飛び領を得て、これを結ぶ豊後街道(肥後街道)を開いた。参勤交代はじめ、文...
絞り染めは、布をくくったり縫ったりしてしわを付け、それを染料に浸して模様を付ける染色の方法。昔から世界各地で行われた技法だが、素朴であってもさまざまにバリエーションを持ち、多彩な絞りの技を発達させたのは日本だけと言われる。...
吉四六(きっちょむ)さんは大分人が愛する人物の1人。英雄・豪傑でも学者でも文化人でもない。にもかかわらず、吉四六を知らない大分の人はいないだろう。「天のぼり」「銭糞(ぜにぐそ)」など、祖父母や両親から「吉四六話」の一つや二つはきっと聞いて...
玖珠盆地の真ん中に立って見回すと、何となく気持ちが和んでくる。周りの山々は平らな頂を連ね、穏やかな風景に包まれる。幼い日のお伽(とぎ)話の国に入り込んだような気分。そうだ、玖珠町は「童話の里」なのだ。...
「よいしょ」「よいしょ」「ひょうたん様のお通りだ!」―柴山八幡社(豊後大野市千歳町)の霜月祭は、一般に「ひょうたん祭り」と呼ばれる。祭礼では、古武士の行列を擬した一行が里へと繰り出して行くが、その先導をするのがひょうたん様。 その姿が...
別府の温泉は古代から知られているが、竹工芸もまた古い歴史を持つ。伝説では奈良時代に既に、豊後人が竹で作った茶碗(わん)籠の話が出てくるそうだ。 竹細工は生活のための日用品として作られ始めた。材料は豊富にあった。別府市はもちろん、大分県...
大分市街地から国道10号を南下し、大野川を渡ると戸次(へつぎ)地区。大野川が運んできた土砂による河岸平地で、地味は豊かで土は深く、野菜類の生産に適し「戸次ゴボウ」は有名である。...
だるま(達磨)さんというと、ぎょろりとした目にひげ面を思い起こすが、それは「面壁(めんぺき)9年」で知られる中国禅宗の祖・達磨大師の座禅姿に由来する張り子の起き上がり小法師(こぼし)。だが、それに「姫」が付くと、何とも優しい女性像の縁起物...
源泉数3千近く、1日湧出量13万kl強。加えて泉質は実に多様。「別府温泉」は日本一であるのはもちろんのこと、世界でも一、二を争う泉都である。 ただ、一口に「別府温泉」と言っても、それは八つのさまざまな温泉郷の集合体。そのため昔から八湯...
大分県内には江戸期から近代にかけて多くの金山があった。馬上(ばじょう)、鶴成(つるなり)(共に杵築市)、草本(中津市)、玖珠(九重町)、別府(別府市)など大小20カ所を超える。その中で、開発は明治期と遅れたものの、昭和初期に日本一の産金量...
だんご汁は大分の「ふるさとの味」である。だんごをみそ仕立ての汁で野菜とともに供する家庭料理が基本で、上質のシイタケやいりこに恵まれた大分ならではの逸品。とりわけサトイモの季節がよく、独特のだんごの口当たりとともに格別。 ところが、よそ...
福沢諭吉は天保5年12月(1835年1月)、中津藩の大阪蔵屋敷で生まれた。父の百助(ひゃくすけ)が藩の回米方(かいまいかた)だったからだが、すぐに亡くなり、母子6人は中津に帰ってくる。諭吉は末っ子であり、まだ1歳6カ月だった。住んだのは、...
国東半島の中央部で、両子山と千灯岳の間に立つのが文珠山(もんじゅさん)(616m)。その麓にあるのが峨眉山文殊仙寺(がびさんもんじゅせんじ)である。国東六郷満山の末山本寺で、本尊は寺名の通り文殊菩薩(ぼさつ)。...
日出町・暘谷(ようこく)城跡の海側石垣の下は公園として整備され、その一角に「海中に真清水(ましみず)湧きて魚育つ」という高浜虚子の句碑が建てられている。海中とは岸からおよそ30m、その水深約3mの海底から清水が湧き出し、名物の「城下かれい...
佐伯市宇目は山の中。ご存じ「宇目の唄げんか」は「山が高うち在所が見えん…」と、子守娘の悲哀を歌う。高いと言っても高山というわけではないが、山々はかなり険しく懐が深い。そうした山の一つに鷹鳥屋(たかとりや、または、たかとや)山(639m)が...
くじゅう山群の麓に広がる九重町飯田高原(はんだこうげん)の台地北端は、高い断崖となって切れ落ち、そこを断ち割って流下するのが筑後川の源流ともなる鳴子川(なるこがわ)。少し下流の九酔渓(きゅうすいけい)とともに、大分県を代表する初夏の新緑と...
豊後高田市の中心部、中央通り、新町、駅通りなどの商店街で構成されるのが「昭和の町」である。通りの延長は500mほど。ここにたくさんの古い店舗、住宅などが並んで、「ありし日の昭和」が演出され、観光客、買い物客の人波が絶えない。 豊後高田...
別府市には近代化遺産の建物が多い。温泉観光地として成長した別府っ子の「ハイカラさん」気質が、当時の目新しい建築を受け入れ、それに加えて戦災に遭わなかったことも幸いした。 その近代化建築の代表格の一つが中央公民館(旧・公会堂)。別府市が...
秋草が風になびく10月、豊後富士・由布岳を背にした草原牧場で、家族連れなど老若男女が焼き肉を飽食し、風に乗せて由布院盆地に向かって大声を発する。湯布院町(由布市)名物の牛喰(く)い絶叫大会である。大声の評価に騒音測定器が使われても、絶叫は...
日出町の海を見下ろす暘谷(ようこく)城三の丸跡地に、金山王と呼ばれた成清博愛(なりきよひろえ)(1864~1916年)が建てた別荘「的山(てきざん)荘」がある。建物は大正初期和風建築の粋を凝らし、庭園は借景として別府湾を泉水、高崎山を築山...
山門を一歩入ると、静けさが身を包んでくる。大分市中心街の一角、金池町にもこのような静ひつがあろうとは。ここは蒋山(まこもさん)万寿寺。臨済禅の全国屈指の名刹(めいさつ)。堂宇に近づくと、凛(りん)とした気配が漂い、日に夜に、多くの僧が修行...
世のはじめ、火は神々のものだった。ギリシャ神話では、それをプロメテウスが人間に与えて以来、人は知恵と技術を手に入れ、文化を得た。火を操れる生き物は人類だけ。東西を問わず、火は神聖なものであり、人々は古くから火を祭ってきた。 大分県内で...
「大分の速見の湯」は古くから知られていた。文献として最も古いものは、8世紀の初めに編集されて朝廷に提出された「豊後国風土記」であろう。 その速見郡の項には、竈門(かまど)山に「赤湯泉(あかゆのいずみ)」、河直(かなお)山の東に「玖倍理...
国道217号を臼杵市からトンネルをくぐって津久見市に入ると、目の前に白い崖を見せる石灰石採掘現場が仰がれる。東九州自動車道の津久見インターチェンジは採掘で消えた山の跡地。前者は胡麻柄(ごまがら)山、後者は水晶山。...
しの笛、太鼓、三味線による独特の道囃子(ばやし)に乗って、「天領の街」の古い街並みを引かれていく祇園山鉾(ぎおんやまぼこ)。夏を迎えての日田市街地は巡行する優雅な飾り山鉾に沸き返る。広く知られた博多山笠とは異なり、京都祇園の影響を強く受け...
大分県内に神楽は多いが、おおよそ二つの系統があるとされる。執り物神楽と岩戸系神楽である。前者は面を付けず、ご幣や鈴、扇などを持って舞う比較的おとなしい神楽。後者は着面し、神話などを題材に勇壮なものが多い。また、それぞれに流派があり、庄内神...
沈み橋がせもうじ離合できんけん一寸(いっすん)ずりじゃ。大方の大分人なら理解できようが、沈下橋が狭くて車の行き違いができず渋滞だ―である。沈下橋は増水時に水面下に沈む橋。潜水橋、潜没橋、冠水橋など、日本各地で呼び方の違いはあるが、沈み橋は...
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