大分合同新聞社が創刊120周年記念企画の一環として選定した「おおいた遺産」を紹介した長期連載。「おおいた遺産」は「未来に残したい大分はありませんか」と広く公募し、学識経験者やツーリズム関係者らの「おおいた遺産選定委員会」が120件を選んだ。
※大分合同新聞 夕刊1面 2007(平成19)年4月2日~2011(平成23)年12月21日掲載
祖母・傾山系は深い樹林をまとい、岩峰・岩壁を連ねる極めて男性的な山容である。作家・深田久弥は九重山(くじゅうさん)とともに「日本百名山」に選んだが、九重の女性的な優しさに比べ、彼はその対照的な姿をとらえて「緩い稜線(りょうせん)を左右に引...
周防灘の大分・福岡両県の沿岸、つまり豊前海の関門海峡から国東半島の付け根にかけて、断続的に広大な干潟がある。有明海と並んで日本屈指の広さを誇り、そのほぼ中央部にあるのが中津干潟である。 西は山国川河口から東は中津港に至るおよそ5.5k...
津久見は豊富な石灰岩と名産のミカンによって「白と黄色の町」とも呼ばれるが、その町が8月末の一夜、豪華絢爛(けんらん)な極彩色の踊りに彩られ、市民だけでなく多くの見物客を迎えて盛り上がる。名物の伝統芸能「津久見扇子踊り」である。 扇子踊...
番匠川は大分、いや九州を代表する清流である。魚影も濃い。中でも夏から秋にかけては鮎(あゆ)が知られ、番匠川水系独特の漁法として「ちょん掛け漁」が伝わる。番匠川の大本として本匠と名乗る地域はじめ、支流の井崎川、久留須川など弥生、直川地区など...
今市の石畳は江戸時代の参勤交代路である。宿場は岡藩によって開かれ、同藩の本陣としては犬飼―鶴崎の大野川通船が出来るまで機能した。だが同時に、今市は肥後藩が通した熊本―鶴崎の肥後街道(熊本側では豊後街道)の道筋でもあった。 さしずめ当時...
紫は高貴、神聖の色である。ローマ帝国では皇帝の着衣・礼服の色であり、キリストも死に臨んで紫衣をまとう。日本では聖徳太子が定めた冠位十二階の最上位の色が紫だった。 それはまた愛と恋の色でもあった。...
冷気とともに朝霧の季節がやってきた。放射冷却による霧は金鱗湖(きんりんこ)を中心にわき上がり、みるみる盆地を満たし、人々が目を覚ますころには辺りはまさに霧の湖底。大分県には盆地が多く、各地で朝霧が発生する。日田、安心院など。中でも由布院(...
石段を上がり仁王門を経てすぐ、空のぽっかりと開けた平地が広がる。明るい空間を紅葉がさらに明るくし、そこに大堂が立つ。宝形造(ほうぎょうづく)りの瓦屋根は緩やかな反りを見せて照り輝いているが、庇(ひさし)が深いためか正面3間、奥行き4間の堂...
名勝耶馬渓は「耶馬十渓」と呼ばれるように、かなり広い範囲にまたがっている。その1つ、深耶馬渓を代表するのが一目八景(ひとめはっけい)(中津市)。山国川の支流、山移川(やまうつりがわ)の流域にあって、耶馬渓式風景の核「岩・木・水」をよくマッ...
四囲に岩の壁を巡らす竹田の市街地には、久戸谷など谷間に入る小路の谷地名がある。その1つ、武家屋敷の面影が残る殿町の「歴史の道」から広瀬神社の崖(がけ)下へとちょっと入った赤松谷に、県指定史跡のキリシタン洞窟(どうくつ)礼拝堂がある。...
新しい年を迎えた。豊後二見ケ浦(ふたみがうら)(佐伯市上浦)は全国でも屈指の初日の出の名所である。正月の太陽は生命力に満ちあふれ、人に新たな希望を抱かせる。 男岩(おいわ)は高さ17m、女岩(めいわ)は同じく10m。夫婦岩(めおといわ...
七島(しっとう)はトカラ列島からの渡来を意味する。イは藺(い)、つまりイグサのこと。古く豊後に持ち込まれ、畳や莚(むしろ)に加工され、豊後表(おもて)、青表として近世から近代にかけて全国に知られた。成長は早く、初夏に植え付け、盛夏に刈り入...
佐伯市宇目(旧宇目町)は「唄(うた)げんか」の子守歌にも歌われるように、高い山々に囲まれた別天地。傾山(標高1,605m)から宮崎県との県境となる1,000mを優に超す山並みに抱かれ、川は五ケ瀬川水系の北川が流れ、同市の他の地域や境を接す...
日田盆地(日田市)は九州のほぼど真ん中で、四方に道が通ずる。先史時代からの遺跡も多く、古くから栄えたが、近世、徳川幕府はその地の利を生かして、ここを天領(直轄領)として九州各地の天領の元締め、さらには諸藩の監視役として代官所・西国郡代役所...
城跡には桜がよく似合う。日本人の「お城」に寄せる感慨と桜への思い入れが合致するせいか。おかげで春の城跡は「高楼の宴」ならずとも、どこでもお花見が盛ん。大分城址(じょうし)公園(府内城跡)は街中だけに特ににぎわう。 豊後から大友氏が去っ...
大分銀行の赤レンガ館(旧本店)は、大分市中心街のランドマークであり、金融・経済のシンボルであると同時に、文化を含めて大分県の近現代史を見守り、語ってくれる建築であり、国登録有形文化財である。 1910(明治43)年に旧第二十三国立銀行...
16世紀後半のおよそ50年間、豊後府内は九州の中核都市だった。豊・筑・肥の前・後六カ国の政治と経済の中心地であり、文化は栄え社会は富んでいた。加えて「南蛮文化」と呼ばれた異国の香り濃い特異な都市でもあり、海外にも知られていた。...
大分県の南部に石灰岩の山並みが連なる。津久見市では採掘が盛んで、八戸(やと)のカルスト台地が知られるが、そこからさらに九州山地にかけて、内陸部と海岸部を隔てて秩父古生層と呼ばれる石灰岩地層が続く。 石灰岩は白く見える。...
湯平温泉といえば石畳。緩やかな坂はおよそ500mにわたる。両側にはびっしりと湯宿や土産品店。金の湯、銀の湯、中の湯など五つの共同浴場も。花合野(かごの)川の瀬音とともに、カランコロンと湯治客のげたの音が伝わってくる。雨もよく似合う。 ...
ご存じ「白浪(しらなみ)五人男」の勢ぞろい、舞台で見えを切る中学生。続いては「雪の曙(あけぼの) 伏見の里」で大人たち。舞台と客席が一体となって、鳴りやまぬ拍手と歓声で盛り上がる。なにしろ、舞台に立つ人も客席の人たちも、日ごろからの顔なじ...
大きな岩窟(がんくつ)に、まるで投げ込まれたかのような懸造(かけづく)りの小さな礼堂(らいどう)。龍岩寺奥の院である。内部に入ると、素木(しらき)の3体の仏像が浮かび上がるかのような姿で訪れる人を迎える。思わず目をつむってぬかずきたくなる...
「山紫水明」は日本の風景の素晴らしさを端的に表す言葉であり、大分の山河の多くはその典型的な美しさを今に伝えている。それはまた、夏の風物詩であるホタルの乱舞する川が多いということでもある。中でも代表的な川とホタル名所は、ともに「おおいた遺産...
番匠川は大分県を代表するきれいな川として知られる。佐伯市本匠は、その上流域にあたり、番匠川のおおもとであるとして旧村名に採用された地名。川は三国峠や佩楯(はいたて)山などの連嶺(れんれい)に発し、因尾(いんび)茶で知られた地域に流れ込む。...
大分県最大の河川である大野川は、河口部にデルタを形成するきっかけとして乙津川を分流させた。本流と分流はいったん1.5kmほど離れるが、3km余り下って再び近づき、両川の間は100mほどにまで狭まる。ここに350haもの大きな中州が生まれた...
中津市の中心街から東南へ5キロ弱、緑と水に囲まれ、桜の名所でもある大貞公園がある。一帯は神苑。その核となるのが御澄池(みすみのいけ)で、池中に鳥居が立ち、それを内宮として薦(こも)神社・大貞八幡社が華麗な姿を見せる。...
佐賀関半島の先端、関崎(地蔵崎とも呼ぶ)の沖合3.5km、速吸(はやすい)の瀬戸(豊予海峡)の渦潮に高島が浮かぶ。瀬戸内海国立公園のエリアにあり、景色もさることながら、約80haの小さな島には自然がぎっしり。ビロウ自生地とウミネコ営巣地は...
大分県内には「戦争遺跡」が各地にあり、かつての激しい戦火と、人々の苦しみの体験を目の当たりに語ってくれるが、朽ちるに任せられている遺構も多い。その中で、遺跡を文化財に指定し、後世に伝えようとする試みも増えてきた。宇佐市の施策が良い例である...
草地(くさじ)は豊後高田市の中心街から北、広瀬川や赤坂川をさかのぼった扇形の丘陵地に広がる農業地帯。鎌倉時代から草地荘として知られたが、ここに伝わり育った盆踊り「草地おどり」は今や市域一円に広がり、さらに大分県を代表する踊りになったばかり...
豊後大野市の大野町と清川町の境、大野川の本流にかかるのが沈堕(ちんだ)の滝である。上流およそ400mの地点で本流に緒方川が合流し水量は多い。高さ約20m、幅約110m。阿蘇溶結凝灰岩の断崖(だんがい)から落ちる滝は、古くから西日本の雄瀑(...
豊後大野市緒方町の中心部は「緒方五千石」と呼ばれる米どころ。その東西に長い逆S字状の平野の真ん中を緒方川が流れ、原尻の滝がかかる。上流は岩盤がむき出しになった平らな河床だが、下流は一転して峡谷となる。劇的とも言える川の様相の変化がここに見...
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