大分合同新聞社が創刊120周年記念企画の一環として選定した「おおいた遺産」を紹介した長期連載。「おおいた遺産」は「未来に残したい大分はありませんか」と広く公募し、学識経験者やツーリズム関係者らの「おおいた遺産選定委員会」が120件を選んだ。
※大分合同新聞 夕刊1面 2007(平成19)年4月2日~2011(平成23)年12月21日掲載
今熊野山胎蔵寺から鬼が築いたとの伝説を持つ乱積みの急な石段をしばらく登ると、突然、林が切れて明るい空間に出る。目前の絶壁には巨大な不動明王像、その右に大日如来像。じっとこちらを見下ろしてくる感じ。思わず粛然とした気持ちにもなろう。 と...
「春高楼の花の宴」。日本のさくら名所100選に選ばれた岡城跡の花はまさに満開。それに誘われて駐車場から大手門へとたどると、高く幅広い石垣が迎えてくれる。重力を分散させる仕組みの見事な石組み。加藤清正に指南を受けたともいう。眼下には大野川本...
第9回となる音楽祭が世界的なピアニスト、アルゲリッチを迎え、その総監督のもと11日から始まっている。21日まで全国のクラシックファンを堪能させる。 音楽祭の始まったのは1998年。...
大分県は「石の文化」を誇りうる屈指の地域である。全国の7、8割を占める磨崖仏(まがいぶつ)はじめ、独特の国東塔などおびただしい石塔類、あるいは名人芸ともいえる石垣造りの技と美。だが、石橋、つまり眼鏡橋などとも呼ばれる石造アーチ橋の数が日本...
日田市大山町の梅が実り、そろそろ収穫期を迎える。そして梨(なし)の花が日田市西部を中心に咲き誇っている。これもハウスの早いものが七月上旬には出荷される。...
大分県内の農村部、とりわけかつての村の中心となった古い家並みを歩いていると、あちこちの白壁にパステルカラーというか、淡い色合いの絵が描かれているのを見かける。漆喰(しっくい)を鏝(こて)で整えた浮き彫りのようなもので、戸袋や妻壁など屋外に...
柞原の森は、生命のみなぎるところ。高さ20mにも達するイチイガシやタブノキなど高木の下には、その半分にもならないモチノキなど、さらに人の背丈をやや上回るアオキやヤブツバキなどの若木、地面近くにはランやシダ類。コケが広がるかと思えばキノコも...
「磨崖仏(まがいぶつ)日本一」の大分県のなかでも、代表的なものが国宝・臼杵石仏である。歴史的な価値はもとより、芸術作品と見ても優秀な遺産。 ただ、一口に「臼杵石仏」と言っても、そこには74余体の仏があるとされ、ホキから堂ケ迫、山王山、...
国東市安岐町の安岐川をさかのぼり、支流の両子川の道に入ると前方に国東半島の最高峰・両子山が見えてくる。江戸期の思想家・三浦梅園は二子山人とも号し、毎朝毎夕、この山を仰ぎ、この谷の水を飲んで「条理の哲学」を打ち立てた。 享保8(1723...
周防灘に面する県北の中津市から宇佐市、豊後高田市にかけての海岸線は遠浅の砂浜で、県南・豊後水道のリアス式海岸とはまったく対照的。その遠浅海岸の代表的なものの1つが和間海岸で、広い干潟が見られる。 和間海岸は宇佐市の東部で海に入る寄藻川...
別府市街地から国道500号を十文字原に向けて上り、高速道路の高い橋の下を抜けると強いにおいがしてくる。別府八湯の1つで、最も奥まった明礬温泉である。 においは湯の花小屋からのもの。道の両側や一帯にかけて、古代住居を思わせるワラぶきの三...
古代宇佐文化は「豊の国に」最初に花開いた本格的な文化であり、大分県のみでなく、日本の歴史や文化にさまざまな影響を与え、その基層の一つともなるものである。 神域には上下宮のほか各種の摂社、寺院跡、森や池などがあるが、中心となる本殿は一、...
別府は「ハイカラさんの街」といわれる。観光のため全国から多くの人がやってくる開かれた土地柄のせいでもあるが、とりわけ大正末期から昭和初期にかけては、国際的な温泉都市を目指して、市民たちは意気盛んだった。そのなかでハイカラの気風が育った。 ...
大分市の西のはずれ、別府市との境近くに、別府湾に面して立つのが高崎山。標高628m。両市の市街地からいや応なしに目に付くヘルメット形の急傾斜の山で、文字通り海に高く突き出した崎であり、航行する船にとっては絶好の目印。別府湾のシンボルでもあ...
この夏もまた、盆踊りの姫島には帰省した人たちに加えて見物客で「島が沈む」と言われるほど大勢の人が集まり、男性の荒々しい動き、女性の優雅な身振り、そして子供たちのユーモラスな踊りに沸いた。一島一村、姫島村の盆踊りは今や全国版である。...
豊後高田市を流れる桂川の上流、国東半島の南西部に田染盆地がある。「仏の里・くにさき」のハイライトである富貴寺や真木大堂、熊野磨崖仏(まがいぶつ)なども近い。この盆地のなかに、田染荘(たしぶのしょう)があった。 かつてこの地で圃場(ほじ...
大分県の夏の夜は踊りのシーズン。先に見た姫島盆踊りと同様に、盆の供養踊りに始まったものが多い。農漁村を主体に今でも供養の伝統は深く残り、県内では踊りの種類も何と100に近い。 江戸時代の大分は小藩が分立し、地域間の交流も少なかったから...
ハマユウ(浜木綿)は「黒潮の楽園」の代表的な植物。関東以南の太平洋沿岸、つまり黒潮洗う暖かい南海型気候区の砂浜に自生する。大分県内では佐伯市の蒲江、米水津に多く、夏の花時は潮風に揺れる白い貴婦人といった風情である。 ヒガンバナ科の多年...
杵築市大田の白鬚(ひげ)田原神社で行われる。どぶろくは濁り酒。モロミを濾(こ)し取らない白く濁った酒で、言わば日本酒の最初の姿である。そして古く、酒は神と人が共に頂き酔うものだった。その点で、どぶろく祭りは神人共食の酒と祭りの原風景とも言...
19世紀に入ったころのヨーロッパでは、正体不明の奇妙な化石が学者たちを悩ませていた。なかには「ノアの方舟(はこぶね)」の際の大洪水で死んだ赤ん坊の頭骨だととなえる者も出る始末。 謎が解けたのは、日本に西洋医学を紹介したシーボルトが帰国...
津久見港から四浦半島の北岸に沿って海上を14、5km。定期船が保戸島に近づくと、波止場から山の斜面にかけて、コンクリート3階建て、なかには4階建ての住宅がびっしりと並んでいるのが見える。 島で人の住めるところは西海岸だけ。あとは豊後水...
和傘の柄を取って伏せたような丸い半島。中央の両子山(721m)から四方に向かって放射状に延びる尾根と谷。国東半島は火山によってできた地形を見せてくれる日本でも典型的な半島だ。 半島が成立した後、東西に黒津崎―両子山―真玉を結ぶ線から北...
ススキの穂波が銀色に光り始めると、高原の秋は一気に進み、山や谷が紅葉するとやがて冬が急ぎ足でやって来る。春の野焼きの後、すぐに緑がもえて夏が訪れるように、久住高原の四季の移り変わりは実に鮮やかだ。 「草深野ここにあふげば国の秀(ほ)や...
昇る太陽が別府湾にきらめき、波は光を乗せて遠浅の浜辺に打ち寄せ、風が松林を吹き抜ける。ここは「日本の白砂青松100選」の1つ、杵築市の奈多海岸。奈多は灘に起源するのだろうか。 国東半島を形づくった火山は成立の後に大きく傾動し、半島の...
寒が締まり、大気がピンとはりつめてくると、別府の温泉の湯煙はいっそう高く大きく立ち上る。別府八湯の噴気にはいろいろと特色もあろうが、なかでも鉄輪温泉の湯煙は数も多く豪勢だ。まさに生きて動く看板。国の重要文化的景観として申請準備が進められて...
「奇祭」とされる祭りは各地にある。しかし、ケベス祭は奇祭の中の奇祭と言ってよい。主役・ケベスの面からして奇怪だが、まずもってケベス様とは何者だか分からないし、由緒も不明なのだ。人々は伝統に従って火の祭りを執行するだけ。 祭りは10月1...
中津市北原の原田神社では毎年2月初め、万年願(まんねんがん)の行事で人形浄瑠璃が演じられる。また、同市伊藤田の古要神社では旧暦閏(うるう)年の10月例祭で傀儡(くぐつ)の舞として古要舞と神相撲が奉納され、国の重要無形民俗文化財に指定されて...
由布岳(標高1583m)は豊後富士とも呼ばれ、大分県の代表的な名山。ただ、駿河の富士山と同じく独立峰ではあるが、コニーデ型の長く裾(すそ)を引く山容ではなく、くじゅう山群や隣の鶴見岳などとともにトロイデ型の鐘状火山である。 東西2つの...
別府八湯のなかで、別府駅を中心とするあたりが別府温泉群。ホテルや旅館が立ち並び、数多くの温泉があるが、そのなかで別府市営の共同湯・竹瓦温泉は、歴史の古さや泉質、さらに重厚な建築、周辺の雰囲気などで別府八湯のシンボル的存在と言ってよい。...
別府湾の北岸、日出町豊岡の背後に断層崖の山々が連なる。標高623mの主峰・七つ石山を中央に、西に経塚山、東に城山や百合野山などが並ぶ。これを鹿鳴越(かなごえ)連山と呼ぶ。百合野山と城山の間に東鹿鳴越、七つ石山と経塚山の間に西鹿鳴越という2...
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