2019年4月末で「平成」が終わる。この30年は大分県にとってどのような時代だったのか。年間企画でひもといていく。
※大分合同新聞 朝刊1面・地域面 2018(平成30)年1月1日~2019(令和元)年4月29日掲載
事件当事者を取り巻く環境は平成に入り、大きく変わった。容疑者と被害者。大分でも弁護士会や民間が中心となり、それぞれの権利を守る取り組みを進めた。 「当番弁護士」制度は平成2(1990)年9月14日、県弁護士会が全国に先駆けてスタートさ...
教育界に捜査のメスが入ったのは、学校が休みの土曜日だった。 平成20(2008)年6月14日。大分県警は県教委幹部職員2人と佐伯市内の小学校長、教頭の計4人を逮捕した。教員採用試験を巡り、わが子を合格させたい校長は、人事担当の幹部職員...
不安や戸惑い、怒り……。学校現場や地域にさまざまな感情が渦巻いていた。 どう立て直すか。夏休み目前の平成20(2008)年7月17日。逮捕された佐伯市蒲江小校長の後任に任命されたのは国東市国東小の教頭、岡松寛(63)だった。 教育...
大分市内のホテルの一室。捜査員と向き合った大物県議は、あっさりと1千万円の授受を認めた。 平成13(2001)年10月12日未明、県警は自民党県連会長の県議=当時(68)=をあっせん収賄の疑いで逮捕した。10期連続当選を果たし、議長も...
茂みに隠されたレンズは、施設を出入りする人たちを捉えていた。 平成28(2016)年6月18日深夜。別府署の捜査員2人が、別府地区労働福祉会館(別府市南荘園町)の敷地に無断で侵入し、樹木の幹などにビデオカメラ計2台を設置した。 狙...
あの日も暑かった。 平成23(2011)年7月9日。全国高校野球選手権大分大会の開会式を終え、帰路に就いた森高校野球部のマイクロバスは、大分自動車道を玖珠町に向かっていた。 朝早く学校を出発し、炎天下での開会式。主将の平川拓也(2...
真っ赤な炎が原野を一気に走った。 平成21(2009)年3月17日。由布市湯布院町塚原地区で野焼き作業に参加していた地元の高齢男女4人が、火にまかれて死亡した。高原に春の訪れを告げる地区の恒例行事は、瞬く間に暗転した。 「いろんな...
「鶴見おろし」が吹きすさぶ夜だった。 自宅マンションにいた別府市光町1区の自治会長、星野隆昭(78)は目の前の集合住宅が燃えていることに気付いた。 炎は強風にあおられ、四方に走り始める。近くの共同温泉「此花(このはな)温泉」2階に...
年間企画「平成と大分」第5部は、この30年に県内で起きた事件・事故を8月26日付朝刊から6回シリーズでたどった。社会を揺るがした出来事は今、教訓とされているのか。現場で取材した本紙報道部(旧社会部)の記者が座談会で振り返った。 ―...
この30年で事件・事故を取り巻く環境はどのように変わったのか。本紙記者8人で意見を交わした座談会の後半は、刑事司法の変遷や事件報道の在り方がテーマになった。 ――平成に入って容疑者、被害者双方の権利を守る取り組みが進んだ。事件当事...
「何が何か分からんうちに警察がザーッと入ってきて、たまがった。あとは宮内庁に言われるがままだった」。平成2(1990)年10月6日は、玖珠町小田のコメ農家、穴井進(78)にとって、生涯忘れられない日となった。 この日、宮内庁と県農協中...
大分県の農協にとって平成は「合併」だった。元年は当時の市町村数と同じ58農協だったが、現在は6農協。兼業農家の増加による生産の減少、コメ流通の自由化で集荷量が落ち込んだことなどで収益が悪化。信用(金融)事業の規制強化や不良債権問題もあり、...
平成に入り、農産物の流通は激変した。マーケット(市場)の多様化、小売店の大型化に対応できる生産・出荷体制の構築が、産地間競争を勝ち抜く必須条件となった。 平成19年8月1日。大分県の顔になる産品「The・おおいた」ブランドの確立に向け...
国宝・富貴寺に抱かれた豊後高田市・蕗(ふき)地区。東西に細長く延びる谷あいの集落は、平成7年からの農地整備を機に、大分県内の中山間地の中でいち早く協業経営を導入し、地区内3集落・1農場方式を確立した。高齢化する個々の零細農家に代わって、集...
平成4年10月1日。由布岳の麓の由布市湯布院町塚原で、第6回全国和牛能力共進会(塚原全共)が開幕した。和牛日本一を選ぶ5年に1度の大会が大分県で初開催。草原に巨大テントを設営した5日間だけの夢舞台で「千人焼き肉コーナー」など一般向けのイベ...
大分市郊外の養鶏場で、採卵鶏38羽が相次いで死んだ。 平成23(2011)年2月2日。午後2時すぎ、大分家畜保健衛生所(同市)に一報が入った。夕方の簡易検査は「クロ」。県は職員を招集し、初動防疫に向けて慌ただしく動きだした。 午後...
平成18(2006)年11月24日。「関さば」「関あじ」が、地域名を冠したブランドの保護を目的とする国の新制度「地域団体商標」を取得した。水産物では全国第1号。大分の食の代名詞ともいえる高級魚のブランド名が、国のお墨付きを得た。 「釣...
数え切れないほどのスギ、ヒノキが根元からなぎ倒され、折り重なり、立ち残った木が墓標のように映った。 平成3(1991)年9月27日。列島を襲った台風19号は猛威を振るい、日田で風速44・4mを記録。大分県の林業地帯である日田、玖珠、下...
岡藩ゆかりの町並みが残る竹田市中心部を濁流がのみ込んだ。平成2(1990)年の「豊肥水害」は今も市民の記憶に焼き付いている。 7月2日。梅雨前線の影響で、6月29日から降り続く雨は早朝から激しさを増した。前日には入田(にゅうた)で土砂...
黒い雨雲が空一面を覆った。平成24(2012)年7月3日朝。活発な梅雨前線による豪雨が九州北部を襲った。 日田市の雨量は1時間で81mmに達し、市中心部を流れる花月川の水位が急上昇。ほどなく濁流が住宅地へあふれ出した。 「こんな大...
あの日以来、かすかな揺れでも「もしや」と身構える。 平成28(2016)年4月16日午前1時25分。由布市消防団湯布院方面隊長の太田英一(64)は自宅で就寝中、激震に突き上げられた。 震度6弱。県内の観測史上最大。熊本・大分地震の...
突然だった。 平成7(1995)年10月11日夕。江戸期以降257年間、沈静を保ってきたくじゅう連山の硫黄山(1,580m、九重町)が噴火した。 マグマからの熱で地下水が急激に水蒸気となって噴き出す水蒸気噴火。噴煙は高さ1千mまで...
裏山が突如、牙をむいた。 平成30(2018)年4月11日。夜明け前の午前3時40分ごろ、中津市耶馬渓町金吉(かなよし)地区で山崩れが起きた。 杉に覆われた山肌が幅約160m、高さ約100mにわたって崩壊。約5万立方mの土砂が裾野...
大分県に高速道路網が広がったのは時代が「平成」に入ってから。平成27(2015)年3月21日、約220kmの県内全線がつながった。最後の開通区間は、かつて「陸の孤島」とも呼ばれた佐伯市蒲江に至る東九州自動車道佐伯―蒲江間だった。 「悲...
メタリックな質感が美しい近未来的な風貌と、カーブでの高速走行を可能にする振り子式。平成7(1995)年4月20日。JR日豊線・大分―博多間に待望の新型特急「ソニック」(当時はソニックにちりん)がデビューした。 ソニックは、JR九州が同...
「感謝の思いを込め、見送りました」。平成11(1999)年5月31日、別府と広島を結ぶ広別航路は46年の歴史に幕を下ろした。色とりどりのテープで最後の航海を飾った旅客船「由布」。当時、広別汽船の甲板手(こうはんしゅ)だった吉田哲弘(71)...
JR日豊線の高架化事業に伴い、1月に着工した国道210号大道陸橋(大分市)の撤去工事がほぼ完了。...
海を越え、ソウルからやって来た大韓航空の1番機が大分の地に降り立った。 平成4(1992)年4月6日。大分空港に初の国際定期便となる大分―ソウル線が就航。念願だった国際空港の実現にこぎ着けた。 全国初の海上空港として昭和46(19...
人は誰もが年を取る。 日々の移動手段に困る「弱者」をどう支えるか。過疎地だけではなく、都市部でも重い課題に直面している。 ▽ ▽ ▽ 大分市南西部に位置する富士見が丘団地。東西約3・5kmにまたがり、約3,...
過疎と少子化が押し寄せる豊肥地区の未来を懸けた挑戦だった。 平成18(2006)年4月、三重総合高が豊後大野市三重町に開校した。県教委が進める高校再編の先陣を切り、三重、三重農業、緒方工業、竹田商業の4校が統合した。 県内で初めて...
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