ひと、まち、暮らし、文化――。変わりゆく泉都・別府市のリアルな「素顔」を描写した長期連載。
※大分合同新聞 夕刊社会面 2007(平成19)年10月22日~2009(平成21)年3月14日掲載
帳場のファクスが白いペーパーを吐き出した。 湯治宿「大黒屋」(鉄輪上)。感熱紙に記された内容を確認しながら、おかみの安波てるみ(51)はほほ笑んだ。「今回も旅行雑誌系サイトからのネット予約。福岡から若者グループが泊まりに来るみたい……...
今日も、200畳の宴会場は団体客で埋まった。 宴たけなわのころだった。粗相がないことを確認すると、部屋の上がりかまちに腰を下ろした。 客の革靴を手に取り、黙々と1人、ブラシや布で磨いてゆく。その数、80足余り。 この日に限った...
忘れもしない。彼女と知り合って3カ月目のことだった。 東京で居酒屋のバイトをしていた自分に、はるか九州の別府からホテルのおかみが会いに来た。 「あなたは、どういうお気持ちでウチの孫とお付き合いなさってるんですか」 別府といえば...
午後6時45分。 別府を一望するホテルの玄関前に、大型バスが到着した。 キャリーバッグを手にした中年男女15人。ザワザワと館内のロビーに集まった一行を、制服姿の地元女子大生が歓迎する。 「オソオセヨ。ピョニシシプシヨ」(いらっ...
エレベーターの表示が「12」で止まった。 そこから右手に40歩。廊下のカーペットがフカフカに感じるのは、庶民の自分だけだろうか。 ルーム番号は「1251」とある。従業員がカチャリと部屋のキーを差し込んだ。 「ここが当ホテルHa...
襟の大きい白いシャツの上に、紺色のセーターを着こなしていた。 細身のジーパン。ブラウン管や銀幕で見る以上に脚が長かった。 ピンク色のパラソルが3つ並んだテラスの上から、池のコイを眺めながら「なかなか、いいホテルだな」と、その青年は...
「総合消費会社」。そう呼ぶ人もいる。 食材、電気、施設メンテナンス、クリーニング、清掃、温泉管理……。 一つの旅館・ホテルには少なくとも50社以上が出入りする。 「各取引業者の従業員や家族も含めれば……」。老舗ホテルのオーナーは...
大型のマシンが重低音を響かせながら、丁字形の衣類をのみ込んでは吐き出してゆく。 ベルトコンベヤーに載せられた半乾きの洗濯物。次から次に高温スチームで圧をかけられ、最後はコンピューター制御の機械で1折り、2折り、3折り……。 パリッ...
それが当たり前だった。 芸者をあげて「飲めや歌えや」した後は、必ず、赤ら顔の宿泊客からお呼びが掛かった。 関係者は述懐する。「夜明けまでひっきりなしに治療することもザラだった。好景気でしたね……この街も、われわれの世界も」 終...
料理人の世界は特殊だ。 昔ながらの職人気質。自分の「舌」だけを信じる無頼の職人集団として、宿泊施設の中では一種独特の存在感を持つ。 今なお残る封建的な上下関係。師匠(料理長)が黒と言えば、たとえ白でも、それは黒になる。 誰もが...
午前7時。今朝も、きつく帯を締めた。準備は万全だ。 まず朝食を出す。宿泊客を見送り、部屋を片付ける。宴会場に膳ぜんを立てた後、昼の休憩を挟んで午後から到着客を出迎える…。 北浜2丁目の旅...
いつしか、辺りは暗くなった。泉都・別府に来たものの、どこに泊まっていいか分からない。 そんな個人旅行客にとって、無料の旅館案内所は「駆け込み寺」だ。九州横断道路や国道10号など、市内の幹線道路沿いに点在している。 「助かった」「い...
街角に「活気」があった。 小学生のころだった。 「誰かと思ったら『香織』の息子さんやないの」 格子窓の向こうから、ほお紅を塗ったお姉さんたちによく声を掛けられた。 あれから何年がたったろう。 最近、ふと思うことがある。...
JR別府駅で「確信」した。 思っていた以上に、瞳の色が異なる人々が出入りしている。荷物を積んだバイカー、大きなリュックを背にした自転車。 それが個人旅行者だということは、見ればすぐに分かる。 「ここなら、いける」――。 2...
背筋を伸ばす。「コホン」とせき払いを一つ。凜りんと姿勢をただし、打ち水で湿った石畳のエントランスを進んだ。 左手の池には、時価にして「0」が6個以上並ぶ大型のニシキゴイが数十匹。気品を漂わせ...
宿泊客と向き合った。その人の顔立ちを見た瞬間、迷わず決める。 「花魁おいらんにして」 「いやいや、アナタは『極妻』の方が様になる」 メークを望まない人もいる。 「だったら……海軍...
「20数年前までは、ギラギラのネオンに回転ベッドが主流だった。バブルがはじけてからです。シティーホテルのような、木調の落ち着いた内装がはやり出したんは……」 平成も20年。時代が変われば、ニーズも変わる。 業界関係者は青息吐息だ。...
別府観光のバロメーター。そう言ってもいいだろう。 古き良き栄光の時代を知る別府市民の多くは、さりげなく、心のどこかで気に掛けている。 「お、今日は入っとるな」 「平日やけん、少ねえなぁ」 「すげえ、ほぼ満杯や」 高台に...
団体客が消えた。それも時代の流れだ。対応するしかない。 ただ、厄介な問題が生じた。 宴会場をどうするか――。 宿の街・別府にひしめく旅館やホテルにとって、それが「悩みの種」になった。 ♨ 北浜3丁...
旅は、行く前が楽しい。 事前に情報を仕入れ、「その日の行動プラン」を空想する。 さて、夕食をどうするか――。 浴衣姿でゆっくり、宿の料理に舌鼓を打つのもいい。 でも、せっかくの旅行だ。 ガイドブックに掲載された地元の赤...
電話が鳴りやまなかった。 2005年冬。館内のリニューアル情報が九州各県にテレビ放映された直後のことだ。 「今すぐ、予約を入れたい」 「こんな宿を待ってたんです」 受話器の向こうで弾む声。体にハンディのある人や、高齢の親を...
黒塗りの国有車が到着した。 時が時だ。「露天風呂が付いた部屋をリクエストしたい」。貴重な”1人の時間”を確保するため、事前に要望があった。 参院選さなかの2007年夏。 別府湾を望む窓辺の温泉に入り、部屋にマッサージ師を呼んだ...
大型バスが整列した。 すべては県外ナンバー。次々と降り立つ団体客を、れんが色の建物がのみ込んでゆく。 別府の栄光時代をほうふつさせるかのような、宿泊客であふれ返る到着シーン。 その光景が今なお、続いている。 ...
長い長い闇だった。別府湾の向こうから、今まさに「復活」の朝日が差し込もうとしている。 観光低迷にあえぐ湯の街。 その至るところで、たくましい再生のしぶきが上がっている。 もともと底力はあった。 それを引き出したのは、地道な...
時代を象徴する人、栄枯盛衰を知る人、故郷を思う人。 温泉観光都市・別府。...
千葉県はソメイヨシノが満開だった。 油屋正一。75歳。泉都・別府の名を世に広めた熊八の息子。 「3歳でオヤジは死んだ。記憶なんてない。しかも自分の本姓が油屋だと知ったのは、高知県の旧制中学に進む時。...
村上アヤメ。亀の井バスの初代バスガイド。 「玖珠の森高等女学校を出た後、家族で別府に越して来たんよ。バスの『少女車掌』を募集しよるで―ちゅうて行ったら、なる人が少なくてそのまんま採用になった」 当時17歳。昭和3年の秋だった。...
油のにおいが染み込んだ運転室。年代物の工具類が、雑然と机に置かれている。 田中勝巳。63歳。別府ワンダーラクテンチのケーブルカー運転士。 「この道……45年や。出勤はいつも午前6時半すぎ。毎朝、近所のニワトリを起こしながら来よる」...
松尾常巳。89歳。看板職人だった元映画絵師。 「上映が決まると、キャビネ判の白黒写真が回ってくるんです。それを見ながら、キャンバスに模造紙を張ってデッサンする。なんせ大きいから要領がいるんですわ」 ♨ ...
もちろん、最初の子は覚えちょん。別府市内の薬品店に勤めてた娘こでな。何が何やら分からんで取り上げたんよ。先生から怒られて、悲しいやら、うれしいやらで……涙が止まらんかったわ。 昭和19年に開...
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