戦争映画「善き人のためのソナタ」を観て
大塚建(日本文理大学情報メディア学科4年)
発信者の思いをかみしめ、新たな価値観に思考を巡らせる時間が、映画にはあります。何を見て、いかに感じ、変化したのか―、それは見た人一人一人に委ねられています。映画を愛する人たちが、好きな作品や映画にかける思いなどをつづります。
ウクライナとロシアの戦争は私の気分を重くしている。戦時下にいる若者のことを思うと、平和な日本で安穏としていることに…。そんなこともあり戦争を題材にした映画を見ることにする。
2006年公開の映画「善き人のためのソナタ」は、冷戦下に国家による思想弾圧が行われていた頃の東ドイツが舞台である。反逆者を取り締まる国家保安省の役人”ヴィースラー”が、反逆者の容疑をかけられた人気劇作家”ドライマン”の監視を命じられ、自宅に仕掛けた盗聴器で反逆罪の証拠を探るという設定でストーリーが展開していく。
当時の東ドイツではあらゆる自由を禁じる体制が敷かれ、人々は窮屈な生活を強いられていたそうだ。中でもヴィースラーは体制に忠実で、ドライマンの自宅に盗聴器を仕掛ける様子を隣人に見られた際、「密告すれば娘さんは退学になる」と脅し、作戦を遂行する強い意志を見せた。国家による誤った行いを目の当たりにしても脅しで口を封じられる――逆らいようのない体制下でおびえながら暮らす人々は苦痛に違いない。監視されたドライマンの私生活は筒抜けとなり、誕生日会の様子や恋人との大切な時間までもが報告書に記されていく。
それでも監視するヴィースラーの心根に変化が見られるようになる。ドライマンが、活動を禁止されていた演出家の友人が自殺したという知らせを受けた時の出来事――悲しみに浸りながらピアノを演奏する際、盗聴器越しに音色を聴いたヴィースラーが静かに涙を流すシーンだ。
その時に演奏された曲が「善き人のためのソナタ」。以降もドライマンは信念を貫いて創作を続けるが、ヴィースラーは報告書に虚偽の内容を記し、反逆的な芸術活動を見逃すようになっていく。国家の確固たる政治思想を貫くヴィースラーの心を揺さぶることは容易ではないはずだが、理不尽な体制下でも創作を続けたドライマンの信念が勝ったのであろう。
何より立場や思想は違っても感動を共にすることができる芸術の素晴らしさを痛感した。ロシアの政治家レーニンは、ベートーベン作曲の熱情ソナタを聴くと「革命が達成できない」と言ったという。それは国家の命令に従って監視を遂行していた人々にも、当然人心が宿るという人間の可能性を表していた。人を突き動かすのは真情であると信じられるシーンでもあった。
私は大学生として生活を送る中で、関心のある学問を専攻し、自宅では好きな音楽を聴き、世界中のあらゆる映画を鑑賞することができている。しかし戦争へと目を向けると、日本での現在の暮らしは決して当然のことではないことを再認識せざるを得ない。
私はこの春に大学卒業が迫り、いよいよ社会へと一歩踏み出す時期に来た。この先には手に余る難しい決断を下さなければならない場面が何度も訪れるだろう。強勢な力や体制を前にして誤った道に進みそうになることがあるかもしれない。そんな時は道義を見失うことなく、真情に従って行動できる人間でありたい。そのような気持ちにさせてくれる映画であった。
=2023/03=