大村純忠(すみただ)は、天文2(1533)年に生まれ、天正15(87)年に没した、肥前国の戦国大名です。永禄6(63)年に、日本初のキリシタン大名となったことでも知られます。また、肥前の長崎は元来、小さな村だったものを、純忠によって元亀(...
豊後の戦国大名大友義鎮(よししげ)(宗麟)には、弟晴英(はるふさ)がいました。晴英は、天文21(1552)年3月、大内義隆が没した後の周防(すおう)大内家の家督を継ぎ、大内義長を名乗ります。山口に入った義長は、5カ月後の同年8月に、この地...
16世紀は、人類史上初めて「世界史」と呼べるような、地球的規模でのダイナミックな人間関係が生まれた世紀です。地球を逆回りしてアジアで出会ったイベリア半島両国(ポルトガルとスペイン)の活動により、ユーラシア東端にある日本の状況も、さまざまな...
コレジオ(collegio)は、キリスト教聖職者の養成と西欧文化の教授を目的として、イエズス会が設立した学校を意味するポルトガル語です。同じ目的で初等教育を施すセミナリオ(seminário)に対して、コレジオはより専門的内容を教える高等...
福岡県の「弥富文書」の中に、次の史料があります。...
ポルトガル・リスボンの科学学士院図書館蔵「日本書翰(しょかん)集」の中に、永禄4(1561)年、「El Rei de Conguxima(鹿児島の国王)」を称した戦国大名島津貴久(たかひさ)が、インド副王(ポルトガルがインドに設置した総督...
戦国時代の日向国目井(めい)(宮崎県日南市南郷町)に、竹下宗怡(そうい)(頼堅(よりかた))という人がいます。この人物は、現代ではとても考えられないような、国境を自由に越えて行き来するマージナルマン(境界人)でした。 宗怡はもともと、...
「猿楽(さるがく)」の歴史については諸説ありますが、一般に、中国から古代の日本に伝わった舞台芸能の散楽(さんがく)が起源の一つであるとされます。歌舞音曲や曲芸、手品といった各種の雑芸のうち、特に、物真似(ものまね)などの滑稽芸を中心に発展...
室町時代や戦国時代、西日本の守護大名・戦国大名クラスの領主は、自らの船を建造、保有する船持ち大名としての性格を有していました。例えば、豊後の守護大名大友親世(ちかよ)は15世紀初頭、「春日丸」と名付けた大型大名船を保有し、九州から兵庫まで...
相良(さがら)氏は、鎌倉時代に肥後国人吉荘(ひとよしのしょう)(熊本県人吉市)の地頭職となり、室町・戦国時代に肥後南部に勢力を拡大した戦国大名です。鎌倉時代から明治維新まで続いた相良家には、約1400点の古文書・古記録が伝わっていて、現在...
写真は、長崎県平戸市の松浦史料博物館が収蔵する「松浦家文書」の「引書本付録十三番」に収められている、「法印公与暹羅(シャム)国主書案」という名の史料になります。「法印」こと平戸の戦国大名松浦鎮信(まつらしげのぶ)が、「暹羅」(タイ・アユタ...
ポルトガル・リスボンの科学学士院図書館が蔵する「日本書翰(しょかん)集」の中に、インド副王(ポルトガルが植民地支配のためインドに派遣した総督)ドン・フランシスコ・コウティーニョが、「El Rei de Conguxima(鹿児島の国王)」...
ポルトガルのリスボンにあるアジュダ図書館が蔵する古写本の中に、平戸の大名松浦隆信(まつらたかのぶ)が、インド管区副管区長メルシオール・ヌーネス・バレトに宛てた1555年10月16日付の書状写があります(「日本関係海外史料 イエズス会日本書...
怡雲宗悦(いうんそうえつ)は、京都の大徳寺瑞峯院(ずいほういん)の開祖徹岫宗九(てっしゅうそうきゅう)の法を継ぎ、16世紀半ばに同寺住持となった臨済宗の僧侶です。大友義鎮(よししげ)(宗麟)が建立した瑞峯院は、室町時代の方丈建築の貴重な遺...
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