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最期の地「いつか慰霊に」 祖国へ㊦

 顔を見た記憶がない。
 享年31。父親は74年前、パプアニューギニアのブーゲンビル島で死んだ。
 現地で「ご苦労さまでしたと伝えたい」―。大分市小野鶴南の佐藤富彦さん(76)が遺骨収集事業で南太平洋に赴く理由だ。
 父有麿(ありま)さんは大分郡野津原村(当時)出身。第2次大戦末期の1943年4月に徴兵され、半年後、島に派遣された。
 戦禍に倒れたのは1年後の44年3月9日。妻や3人の子どもを日本に残したまま、帰らぬ人となった。
 戦後、自宅に「戦病死」の通知だけが届いた。

険しい密林地帯で
 「墓島(ぼとう)」―。
 日本兵のしかばねが並んだ島は戦時中、そんな異名が付いた。高温多湿の熱帯雨林。米軍の猛攻で補給が断たれた43年秋ごろから、日本軍は飢餓やマラリア感染で衰弱していった。
 戦闘どころではない兵士も多かった、と伝わる。「父もむごい状況で死んだ。幼い子を国に残し、悔しかったと思う」。南方の密林で迎えた最期を想像し、佐藤さんは涙を拭った。
 65歳で建設会社を退職してから、父の歩みや戦争の歴史を調べ始めた。「現地を見てみたい」と2011年に慰霊の旅に参加し、機上から参拝。16年3月に初めて国の遺骨収集事業に加わった。
 亡くなった場所は標高約300メートルの密林地帯と聞いている。
 今回の活動地点から3~4キロほど離れ、険しい地形のために訪れることができなかった。
 「いつか慰霊に行くことができたらうれしい」
 今後の進展を願う。

未収容112万人
 国を守るために多くの若者が戦地に散った。
 遺体は野ざらしにされ、連合国によって無造作に埋められた。
 厚生労働省によると、海外戦没者は240万人。うち112万人分は未収容だ。遺骨の帰還は国がやり残した「戦後処理」でもある。
 遺族や体験者が高齢化する中、収集を「国の責務」とする戦没者遺骨収集推進法が16年3月に成立。24年度までの9年間を集中実施期間としたことで、ようやく活動は本格化した。
 佐藤さんは10月で喜寿を迎える。「島に眠る遺骨は皆、父の戦友たち。体が続く限り、一人でも多く祖国に連れて帰るのが私の役目だと思っている」
 来年以降も現地に足を運ぶつもりでいる。
※この記事は、9月14日大分合同新聞朝刊25ページに掲載されています。
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