地域を支え、人々に支えられてきた老舗を訪ね、人と風土、地域を伝えた夕刊企画。
※大分合同新聞 夕刊1面 2005(平成17)年4月6日~2007(平成19)年3月28日掲載
江戸時代は「酢屋」だったという。瓦屋根が重なり合う木造家屋。のれんの奥には土間が広がり、畳敷きの帳場がある。母屋は築後約200年とされている。 「造り方は昔のまま。みんなの口に合ったみそができたから、今まで続けてこられたんやなかろうか...
「今、包丁がない家庭があるんですよ。手っ取り早く、パック入りのおかずを買ってくる。はさみがあれば十分だってね」 60年以上、包丁を作り続けてきた野北純男さん(78)が笑い飛ばした。 裸電球が下がる薄暗い仕事場には、たたら吹きの火床...
津久見の街の変化とともにある呉服店――。春の優しい日差しが届く商店街に「呉服のまるとく」はあった。人の姿がまばらな商店街から店内に入ると、店長の東英子さん(56)とお客さんが楽しそうに会話する声が聞こえた。 「津久見は臼杵の稲葉藩と佐...
竹を編んで形を作る。その上から漆を何度も重ね塗りし、研ぎ出しなどの装飾加工を施して仕上げる籃胎(らんたい)漆器。美しさ、品のよさはもとより、軽くて丈夫で、使い込むほど味わいが増していくのもまた、魅力だという。 店内には従来から伝わる盛...
「パソコン全盛時代の今となっても、紙とペンは生活必需品。玉ぐしに付ける中折り紙1枚でも、お客さまが必要なものを提供するのが、私たちの役目と思っています」。紙商、そして文具商として、ことしで175年。文具はコンビニエンスストアでも買える競争...
外郎(ういろう)菓子は、細長い棹(さお)形が一般的で、丸形は珍しいという。中津の外郎は花を模したかわいらしい形。もちっとした食感と、ほんのりショウガ風味が何とも言えない。ふるさとの逸品だ。 その名も「外郎饅頭(まんじゅう)」はこの店か...
「米屋という名前だけど、今はそば屋なのよ」。おかみの寺川延夫子さん(60)が笑った。 詳しい資料は残っていないそうだが、今から約140年前の江戸末期ごろ、先祖が現在と同じ地で、名前の通り米屋を始めた。明治初めまで続けられたが、2代目・...
「火事だーっ」。誰かの声に家老たちも慌てて屋敷から飛び出た。折からの強風にあおられ、火勢は増すばかり。臼杵城主が江戸詰めの際に住む、稲葉家江戸屋敷にも火の手は近づいてきた。 するとその時、どこからともなく白装束の一団が現れてあっという...
明治20年、佐藤卯八さんが創業したと伝わる月乃家は、日出町特産の城下カレイ料理の老舗。現在は5代目の佐藤賢治さん(73)と妻アヤノさん(67)が切り盛りする。 城下カレイ料理は「殿様料理」とも呼ばれる。月乃家に生まれ、生涯の多くを城下...
「チュイーン」。木造の工場内に、ヒョウタンでできた花器の底を機械で平らに磨く音が響きわたる。3代目の溝口栄治さん(62)が台に向かい、黙々と作業を続ける。 「溝口ひょうたん本舗」は、宇佐市内で栽培したヒョウタンを使い、とっくりやはし置...
「最近、みんな過食気味だと思う。でも、その割には野菜を残す人が多いんですよ」。3代目店主・阿部寿克さん(62)の妻貴美子さん(58)がこう話した。 県の県民栄養摂取状況調査によると、52・5%の人が食事でエネルギーを取り過ぎ(2000...
260余年にわたりお茶一筋に――。創業者の命日を菩提(ぼだい)寺の過去帳でさかのぼると元文5年。西暦では1740年に当たる。屋号の「とまや」の由来は、鎌倉前期の歌人・藤原定家の和歌にある「浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」という。1875(...
”昭和30年代”をテーマにした商店街活性化の取り組みで一躍、脚光を浴びた豊後高田市中心部の商店街「昭和の町」。アイスキャンデーやミルクセーキを求める客でにぎわう商店がある。通りから見える店の様子は一見、「駄菓子屋さんかな」と思える「森川豊...
店の敷居をまたぐと「三笠野」「荒城の月」といった、竹田市民ならずともなじみの和菓子が並ぶ。1804(文化元)年の創業以来、城下町竹田とともに歩んできた。店舗は1877年に西南の役で全焼したが、同年内に再建、1964年の改装を経て、今も風格...
「コン、コン、カン」。スケトウダラのすり身が包丁の上で踊る。見事なリズムで形が整えられ、油の入った鍋に落ちていく。明治初めの創業以来、看板商品として愛されてきた「手打ち天」の製造風景だ。包丁2本を巧みに扱う独特の職人芸。5代目の細田幸司さ...
黄金色に輝く「ゆずねり」は、別府の名産として創業当時と変わらない味を守っている。店内にはゆずねりをベースにした「ゆずまん」や「ゆずねりようかん」が丁寧に陳列され、常連客や観光客が足を運ぶ。 ジャム状にしたゆずねりを、ふんわりと焼いたブ...
1854(安政元)年創業。全国一の清流・大野川の地下伏流水を使い、木だるを用いたしょうゆ、みそ造りを今に伝える。素材も県産大豆にこだわり、「吉野の鶏めし」をはじめ、リュウキュウ、鳥天といった郷土料理を支えている。 一方で高度成長期以降...
「山村水廓(すいかく)の民、河より海より小舟浮かべて城下に用を便ずるが佐伯近在の習ひなれば、番匠川の河岸にはいつも渡船(おろし)集ひて、乗る者降るる者、浦人は歌ひ山人はののしり、いと賑々(にぎにぎ)……」(国木田独歩「源をぢ」) 佐伯...
清酒「西の関」。大分が全国に誇る銘柄の1つだ。「2代目米三郎が西日本の代表酒になりたいという意気込みと願いを込めて命名しました」。4代目社長で、現在会長を務める萱島須磨自さん(83)が名前の由来を語る。 創業は明治6(1873)年。現...
豊後風土記に、天武天皇の時代に山も岡(おか)も割け崩れる大地震が起こり、熱湯が噴出した――と記される天ケ瀬温泉。杖立温泉と並ぶ古くからの湯治場だった。 創業前は湯山村の長(おさ)である庄屋だった。天保年間(1830―44年)に創業。当...
江戸時代から「緒方5千石」と称された米どころ。緒方平野一帯には、あちこちに井路が張り巡らされ、祖母・傾山系からわき出る豊富な清流が広大な田を潤す。 「良質な米とたっぷりの水。自然に恵まれた、酒造りにぴったりの土地ですね」。昔ながらの水...
1905(明治38)年に「ゑびすや」として創業し、54年に現在の店名になった。今年めでたく、創業百周年を迎えた。「地域の人はお客さんと言うより家族です」。4代目の井尾孝則さん(62)は、地域への感謝の気持ちを忘れない。 井尾百貨店があ...
「長尾さんところの服は頑丈で傷まんけん、まだ作らんでいいわ」。お得意さまのところに営業に行って掛けられる一言。「うれしいやら、悲しいやら」と店主の長尾登一さん(70)。 先日、終戦直後に仕立てた背広が補正に持ち込まれた。数十年前に親が...
白い山肌から、石灰石を生み出す津久見の山々。産出量は全国でも有数だ。その山の傾斜を利用し、石灰石を焼く「土中炉」と呼ばれる窯が戦前まで、津久見市内のあちこちにあった。 多くは、設備の大型化、機械化に伴い、戦後間もない時期に次々と姿を消...
店の前に倒れていたキツネを手厚く介抱した。キツネは手当てのかいなく死んでしまったが、恩返しがあったのか、その店はそれから随分、繁盛したという――。 キツネを祭る祠(ほこら)とともに、老舗らしい伝承が残る小野酒造は1869(明治2)年、...
鉄鍋で煮立てたくず粉を木しゃくしですくい取り、素手に移して素早くあんこをくるむ。熱くないはずはない。「ええ、そりゃ熱いですよ。でも速く作らないとくずが固まってしまう。一番速く作るためには手作業でないと」 5代目の岡田克己さん(65)の...
大正時代に安心院のスッポンなどを紹介した食の名著「美味求真」。執筆者の故木下謙次郎さん(衆院議員・安心院町出身)と創業者の故山上作太郎さんは親交が深かった。 木下さんの勧めで始めたのが、川魚やスッポンの料理店。創業は1920(大正9)...
大量消費、自動車社会を背景に成長したホームセンター業界。昔ながらの「老舗」のイメージからは随分ほど遠い。生活雑貨、家庭用品、建設資材など約四万種の商品を取り扱う「ホームセンターツチヤ」。時流に合わせて、立地も営業形態も変え、地域の万屋(よ...
”昭和30年代”をテーマに商店街再生に取り組み、近年、多くの観光客を集める豊後高田市中心部の商店街「昭和の町」。古めかしい建物に誘われて観光客が店内に入る。ごった返す光景は、「安東薬局」でも目にすることができる。 店舗は、同市が海上輸...
代表的な清酒「久住千羽鶴」は作家川端康成の小説「千羽鶴」にちなんでいる。1917(大正6)年、佐藤彦喜さんが創業、建物は一度、建て替えをしたが、場所は変わっていない。久住町のメーン通りに、落ち着いたたたずまいの店を構えている。 太平洋...
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