地域を支え、人々に支えられてきた老舗を訪ね、人と風土、地域を伝えた夕刊企画。
※大分合同新聞 夕刊1面 2005(平成17)年4月6日~2007(平成19)年3月28日掲載
「社長、この大きさのパイプある?」。店の前に軽トラックが止まり、若い男性数人が入ってきた。3代目の松下好孝さん(68)が「確かあったはずやわ」と商品を探しに店の奧に消えていった。 常連客は地元の建設会社や板金業者。建築材料や資材などを...
漢方一筋140――。一人一人の体質・症状に合った漢方薬を組み合わせて処方する相談薬局として、人々の健康を支えてきた。近年は福祉事業にも乗り出している。 昨年、3代目の荘司豊美社長が亡くなり、現在は妻順子さん(70)が会長、薬剤師資格を...
神社仏閣に掛かる大きな幕やのぼり。商店の軒先を飾るのれん。屋号や家紋などの「印」を、手作業で布地に染めていくのが印染(しるしぞめ)の世界だ。 機械に頼らず、昔ながらのはけを使う手法を受け継ぐ店は、日本にもう千軒もない。明治半ば創業の「...
江戸幕府の直轄領として栄えた日田は芸者文化もあった土地柄。日本髪に和服を着た芸者さんが、三味線や踊りで酔客らをもてなした。川遊びのシーズンには、三隈川に浮かぶ遊船に乗り込み、自然の情緒に風情を添えた。 諌山三味線屋は温泉旅館が立ち並ぶ...
大分トリニータの試合でサポーターがスタンドに広げる巨大なフラッグ。大相撲の懸賞旗や満員御礼の垂れ幕など土俵を彩る布製品。これらのほぼすべてが、大分市内の同社工場で作られていると知る人は少ないだろう。染め物を製造販売する紺屋(こうや)では、...
単なる酒屋として語ることなど、とてもできない来歴を持つ。原点は江戸後期、シイタケ栽培で大発見をした人物、原田利三郎。そして現在は、手芸の作品などを展示する「ギャラリーはらだ」として知られる。移り変わる時代の流れの中を、しなやかに生きてきた...
全国に誇る清流・大野川とともに発展してきた豊後大野市犬飼町。町の中心部にある商店街の一角で、今も120年前と変わらぬ製法の練り羊羹(ようかん)を守っている。 「創業明治十八年 犬飼名産 本家 練羊羹」。店内には、すっかり茶色に変色した...
甲下酒店は1935(昭和10)年、現在の向原商店街の一角に創業。挾間地域の酒造業者に蔵人として勤めていた故・甲下助一さんが、支店としてのれん分けしてもらったのが始まりだ。 3代目の典志さん(39)は10年前、父敏夫さん(69)から店を...
「古いのれんだけで売れる時代ではない。ここ10年で生活手段が急速に変わり、着物文化が減った。でも、着物は民族衣装。成人式や結婚式など大事な儀式がなくならない限り、また着物の時代が来る」と、6代目の田坂文則社長(63)は熱く語る。 江戸...
かつて買い物客や観光客でにぎわい、多くの店が栄えた別府市南部地区。以前ほどの華やかさはないかもしれないが、レトロな街並みが新たな魅力となりつつある。 空に向かって伸びる煙突。「三保醤油(みほしょうゆ)」と書かれた看板と軽トラック。時代...
日本食に欠かせないものと言えば、やはり、みそとしょうゆだろう。ただ最近は、若い世代を中心に煮付けやみそ汁を作らない家庭が増えているという。4代目社長の安永隆一さん(49)は「みそやしょうゆそのものより、加工品の売り上げが伸びている」と言う...
栄養価が高く、毎日の食卓に欠かせない卵。創業以来、ふ化、種鶏、販売卸、養鶏と業態を変えながら一貫して卵に携わり、市民の食生活を支えてきた。 初代・玉井重郎さんが大分郡桃園村(現在の大分市山津町)でふ化場を始めたのが1930(昭和5)年...
創業は1897(明治30)年だが、江戸時代の慶応年間から地元の漁師船などを造っていたという。最も業績が良かったのは4代目の若林明治社長(68)が会社を継いだ1970年代。 FRP(繊維強化プラスチック)素材の登場によって、漁師はそれま...
「この間のお茶、おいしかったわ」「それはよかったです」――。なじみのお客さんと、3代目おかみの太田厚子さん(68)が笑顔でやりとりする。長く地域の茶専門店として親しまれている店内の光景だ。 創業は1887(明治20)年で、約120年が...
薄く削ったヒノキを曲げ、円形につなげて出来上がる篩(ふるい)や、蒸籠(せいろ)。どこの家庭でも必需品だった曲げ物だが、最近は目にする機会が少なくなった。 曲げ物の行商をしていた初代が「こんなに売れる土地があるのか」と驚き、現在の地に店...
陶器や掛け軸、線香、仏具などを”包む”桐(きり)箱。オーダーメードで、包む物のサイズに合わせて一つ一つ仕上げる。使用する桐の質や厚さ、細工もさまざまで、「1個」の注文もざらとか。「部分的には機械も使いますが、基本は手作り。今どき珍しい家内...
昭和30年代の再生をテーマにした町づくりがスポットライトを浴び、観光客でにぎわう豊後高田市中心部の商店街「昭和の町」――。桂川に架かる桂橋のたもとにある呉服店。 ショーウインドー越しに見る店内には和小物が並び、年代物の荷車がひときわ存...
わき水に恵まれた日出町には18世紀半ば、豆腐作りに適した「豆腐水」と呼ばれる井戸水があったという。伝説の豆腐水があった場所に近いせいか、藤井食品の目と鼻の先にも、かつて良質で水量豊富な井戸があった。 絶好の環境で、当代の和幸さん(75...
ハンバクステーキ サンドウ井ツチ コー茶…… ――1926(大正15)年、創業当時のメニュー。今でも店内で保存されている。故・宮本四郎さんが当時栄えていた市内中浜筋(現・楠町)に開業。「東洋軒」の名は、修業中に勤めていた東京の...
夕刻、学校や遊びから自宅に向かう小学生たちが、店頭で足を止め、おいしそうに冷えた水を飲む。「通り掛かった人がいつでも飲めるように水を置いているんですよ」 「あわや」の4代目、都築員守さん(54)と店長を務める妻の玲子さん(52)がにこ...
創業者の矢野権平さんは金銀細工の職人だった。しかし、この仕事だけでは食べていけず、大分市大工町(現中央町)の店で治療用のはりを作って売っていた。 眼鏡の商いを始めたのは、権平さんが目の病気になったことがきっかけ。眼鏡を掛けると、見えな...
昔懐かしいたたずまいが残る由布市庄内町小野屋地区の目抜き通り。旧国道210号沿いに店舗を構えて約120年になる。創業当時は呉服屋で、家具や生活必需品も扱う、さながら「デパートのような店」だった。先代が今の業種に変更。4代目の小野庄治さん(...
「こうじ作りは体で覚えてもらわんといけん。わたしは10年かけて身に付けた。とにかく室(むろ)に入って体得することが大事だ」 300年続いているというこの店の8代目当主・浅利幸一さん(81)。厳しい言葉とは裏腹に、にこやかな顔をして目を...
旅館の浴衣を着た観光客がやって来る。ビールや焼酎、つまみを買い込み、ゲタの音を響かせながら旅館に戻っていく。 店の前には、2004年に無料足湯「酔湯(いいゆ)」を設置。樹齢100年のサクラの大木をくりぬいて造った湯船に漬かった観光客ら...
豊後高田市に近い港町。地元で取れた新鮮な魚を目当てに、昼は観光客、夜は地元の人たちでにぎわう。店舗1階は、優しいライトをともして落ち着いた雰囲気。2階には宴会場と個室。季節ごとに違う旬な魚を仕入れ、刺し身やすし、会席料理などを提供している...
海の町、佐賀関。牛乳を売って91年を迎える。1915(大正4)年、故・古山源次郎氏が、交通網が発達しておらず、生鮮食品が手軽には手に入らなかった町に「カルシウムやタンパク質が豊富な牛乳を届けたい」と創業した。 「佐賀関で飼っていたのは...
日田産の杉やヒノキでげた、木製サンダルを製造。伊藤清光さん(76)、政子さん(83)夫婦が創業から六十年にわたって伝統工芸の明かりをともし続けてきた。 終戦後の混乱期。静岡市、広島県福山市とともにげたの3大産地と称された日田市には、2...
うなぎ好きにはたまらない、何とも言えない香りが店の外まで漂う。1927(昭和2)年に創業。泉都の口うるさい”食通”に愛され続ける老舗には、昔も今も客足が絶えない。 初代の諫武千吉さんが流川通りに「今清(いませ)」を構えた当初は、アユや...
宴会場のガラス戸越しに、津房川と恵良川の合流地点が望める。川の音が心地いい。「わぁ、いい眺め、と皆さんに喜ばれます」。3代目おかみの権藤淳子さん(75)にとっても、お気に入りのアングルだ。 創業は定かではないが、明治時代の終わりごろと...
口コミで県内外から多くの飛び込み客が訪れる。こだわりの原材料、製法で作り続ける「ぎょろっけ」の製造所だ。毎朝、午前2時半ごろ、明かりがともる。揚げ物用の大きな油槽に秘伝の味を伝える油がたたえられている。 太田嘉治専務(54)が槽に向か...
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