2026年NHK大河ドラマの主人公、豊臣秀長は、1540(天文9)年の生まれとされます。兄秀吉の豊臣政権を補佐し、官途(かんと)(名目上の役職)は美濃守(みののかみ)、大和(奈良県)や和泉(大阪府南西部)などを統治したため、「大和宰相」の...
大分市の南部に「稙田(わさだ)」という地域があります。この地名は、平安末期12世紀の藤原頼長没官(もっかん)領29カ所の一つ「豊後国稙田荘(わさだのしょう)」に起源があります。この荘園は、後白河上皇領から後鳥羽天皇領として継承され、承久(...
中世の豊後国国東郡岐部荘(国東市国見町)を本拠とする岐部氏は、豊後国守護の大友氏と主従関係を持つ武士でした。現地には、戦国時代に岐部氏が営んだ城跡(砦(とりで)跡)や一族の供養塔類が残存し、同氏末裔(まつえい)には、一族の性質を示す多くの...
有馬家は、肥前国の有間荘(ありまのしょう)(長崎県南島原市)をルーツとする中世の武家です。島原半島南部に勢力を持ち、室町時代後半の有馬晴純(はるずみ)の代に12代将軍足利義晴に接近して家格を上げ、また次男純忠(すみただ)に大村家家督を継が...
中世の九州といえば、筑前国の博多(福岡市博多区)が大陸文化の摂取拠点として有名ですが、実はその5キロほど北東に位置する多々良川河口付近の多々良地区(福岡市東区)も、外来文化受容の重要拠点でした。 現在の多々良橋を渡った川の北岸台地に、...
豊後府内(大分市)の蒋山(まこもさん)万寿寺は、1306(徳治元)年に鎌倉時代の武将で大友氏5代の貞親(さだちか)が建立した臨済宗寺院です。大友氏歴代当主の庇護(ひご)の下、中世の都市府内の中で最大規模の敷地を有し、室町時代には十刹(じっ...
東京の静嘉堂(せいかどう)文庫美術館に保管される重要文化財の中に、中峰明本墨蹟(ちゅうほうみんぽんぼくせき)「大友直庵(じきあん)に与う尺牘(せきとく)」という史料があることは、以前に紹介しました。中国元の時代の高僧中峰明本が、鎌倉時代末...
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491~1556年)は、スペイン北部バスク地方のギプスコア出身で、貴族オニャス家の一族です。この地域では15世紀以来、ナバラ王家とカスティーリャ王家の対立と抗争が繰り広げられ、ロヨラはカスティーリャ側に加担し...
グレゴリオ13世は、1572~85年に在位した第226代ローマ教皇です。学問を奨励し、また、従来のユリウス暦を廃して新しい暦法を制定したことで有名です。 ローマ帝国領では、紀元前45年にユリウス・カエサルが導入したユリウス暦を長く使っ...
1521年にマゼラン艦隊がビサヤ諸島(フィリピン)に到達して以降、スペインは遠征隊を東南アジア方面にたびたび派遣します。やがて、71年にルソン島のマニラを征服する前後からは、現地総督府から大量の報告書が作成されるようになりました。それらは...
「豊筑乱記(ほうちくらんき)」という軍記物に、享禄3(1530)年の豊後臼杵に南蛮の「大船」が着岸し、「絹布・薬種」(中国の絹織物と漢方薬の原料)をもたらしたとあります。ポルトガルからの船が中国の漢方薬剤を持参したとの、興味深い内容です。...
文禄2(1593)年5月、豊後の戦国大名大友義統(よしむね)は、朝鮮出兵時の不戦功を理由に豊臣秀吉から改易(かいえき)(所領没収)されました。その翌年3月に、隣国肥後の大名加藤清正が、次の指示を出した古文書があります。 「豊州の内によ...
笑雲瑞訢(しょううんずいきん)は、15世紀に日本と中国の間を往来した遣明使節です。室町時代の臨済宗五山派の禅僧ですが、生没年、生誕地は不詳。しかしながら、宝徳度(ほうとくど)遣明船の1号船に乗り込んで京都―北京間を往復し、その際の見聞を日...
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