「『やっぱりみんな一人の人間だったんだな』と面白がってくれたら」と話す岡崎郁さん
大分市出身でプロ野球巨人の内野手として17年間プレー、現在は独立リーグの九州アジアリーグに所属する大分B―リングスのゼネラルマネジャー(GM)も務める岡崎郁さん(65)。選手、コーチとして仕えた4人の監督との思い出、ともに紡いだ物語を語り口調で振り返った著書「長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん 私と4人の巨人軍監督」(カンゼン・1980円)を刊行した。
岡崎さんは、大分商業高3年時の1979年に夏の甲子園でベスト8入り。大学進学が決まっていた中、当時の長嶋茂雄監督が自宅まで説得に来る熱烈ラブコールで巨人入団。その後、王貞治さん、藤田元司さんの下でプレーし、96年に引退。2006年からは現役時代ともにプレーした原辰徳さんに呼ばれて2軍打撃コーチとして復帰し、1軍ヘッドコーチ、スカウト部長なども経験した。
本書のきっかけについては「現役時代の思い出が薄れていく中、何か残しておきたい」という思いが募っていたタイミングで大分出身の編集者に声をかけられたことと、昨年の長嶋さんの逝去だったという。周りからは「すごいとこにいたんだね」と反響が大きく、「自分では普通になっていたが、改めてすごい人たちと日々接し、やっていたんだ」と実感した。
実績を残した監督・選手の列伝や戦術論を取材し著した本は多いが、本書は試合・練習中だけでないオフやプライベートでの素顔、発言など、ともに戦い過ごした立場でしか知り得ないエピソードが満載。それぞれの姿が新鮮な形で見て取れる。
「4人の偉大さを知る僕と同世代の方に読んでほしい。例えるなら富士山は遠くから見て『きれい』と思っている人がほとんどで、登り、近づいていない人の方が多い。富士山に近づいた僕としては、きれいなときと厳しいときの両方知っており、それを書いた。読んで『あ、やっぱりみんな一人の人間だったんだな』と面白がってくれたらうれしい」と笑顔。
「自分のことを書いても誰も読まないので」と謙遜するが、05年に米大リーグ・ヤンキースにコーチ留学した際、「全部100点の選手はいない。長所を伸ばせ。短所は放っておけばそのうち直る」という、日本の指導とは真逆の“米国流”を学んだことを紹介。2軍打撃コーチ時代に「とにかくいいところを伸ばして武器にする」指導を心がけたことなども記している。
「米国は個性的な選手たちが魅力的なチームを形成している。日本は平均点の選手が多い。もっと個性があっていい」と今も感じているという。
プロ野球を目指す大分の子どもたちへは「いつの時代も上達し物事をなすためには練習の継続が欠かせず、それをするには気合と根性がいる。長嶋さんも王さんもそうだが、一番うまい人が一番練習している」とメッセージ。
■監督ごとで分けた4章立て
「長嶋さん、―」は、4人の監督が岡崎郁さんとともに戦った1980年から2015年までを、監督ごとで分けた4章立て。岡崎さん獲得のため長嶋さんが大分の自宅を訪れた出来事から始まり、4人との師弟関係や家族ぐるみの交流をユーモラスで赤裸々に紹介。試合に関しても、クロマティの乱闘事件、江川卓の引退、西武・近鉄との日本シリーズ、原のバット投げ、中日との10・8決戦などの真相や裏話を披露。地上波で巨人戦が全試合放送されていた頃の活気ある息吹を伝えている。
おかざき・かおる 1961年、大分市生まれ。大分商業高3年時の夏の甲子園でベスト8。80年にドラフト3位で巨人入団。84年に胸膜炎になり練習生となったが、翌年克服して1軍に定着する。87年以降は勝負強い打撃で主力選手として活躍し2度の日本一を経験。96年に引退後、2006年に巨人の2軍打撃コーチとして復帰。2軍監督、1軍ヘッドコーチなどを歴任した。21年に退団。現在は公式ユーチューブチャンネルで配信、独立リーグ、九州アジアリーグの大分B―リングスでゼネラルマネジャーを務める。