村山富市元首相の「お別れ会」で式辞を述べる河野洋平氏=20日、東京都
東京都内で4月20日に執り行われた村山富市元首相の「お別れの会」で、村山内閣で副総理兼外相を務めた河野洋平・元衆院議長が式辞を述べた。全文を紹介する。
村山富市さん、こうしてお別れのごあいさつをしなくてはならないことが、非常に残念でたまりません。
101歳という天寿を全うされたとはいえ、日本の政治の良心であり、「市民の宰相」と言うべき偉大な先生を失ったことは、わが国、そして国民にとって言葉に尽くし難い大きな損失であります。心より哀悼の意をささげます。
戦後50年という日本にとって大きな節目になる年に総理を務められたあなたは、東西冷戦が終結し、「これも天命じゃ」と腹をくくって日本のかじ取りを担われました。
その最大の功績は、30年たってもなお今の内閣に継承される村山談話が打ち出した平和への思い、強い思いに凝縮されていると言っても過言ではないでしょう。
アジアにおける植民地支配と侵略の史実に、誠実に向き合おうとしたあなたの正義感と平和を願う気持ちは、国際社会から高く評価されました。あなたの逝去に際し中国政府が深い哀悼の意を表したことが、それを象徴していると思います。
1924年に大分県で産声を上げられたあなたは、漁師であった父親を早く亡くして、苦学した後、1942年、旧制明治大学専門部政治経済学科に入学をされました。
時は軍国主義が隆盛を極める戦中。学徒出陣で、宮崎県都城の陸軍歩兵第23連隊に2等兵として入隊。終戦を幹部候補生の陸軍軍曹として迎えられました。
戦後、ただちに結成された日本社会党に入党し、周囲に推されて大分市議、大分県議、衆議院議員とその道を歩かれました。
国民の中に分け入り、全国を遊説して回る浅沼稲次郎氏を私淑したあなたは、生涯、国民目線、労働者目線の政治を貫かれ、「トンちゃん」と親しまれた温かい人柄は、広く国民の記憶に残る、残り続けるに違いありません。
「天命じゃ」とおっしゃった総理大臣就任のあの当時、野党・自民党の党首であった私がお願いしたあの時の決断は、今なお正しかったと私は信じて疑いません。
長きにわたるイデオロギーの対立が終焉(しゅうえん)を迎え、大国間戦争の脅威が去り、世界が変革期に差し掛かる時でした。冷戦後の新たな政治を目指す日本にとって大事な転換期でもあったのです。
護憲、軍縮、社会福祉、善隣外交といった確固たるあなたの政治信条がまさに今求められて、その思いが強い。こちらも命懸けで説得する私に、「自民党政権ができなかったことをやらせてもらおう。それを歴史的使命としたい」と決断された時の、あなたの力強いまなざしを、今も忘れることはできません。
首班指名を得た、初めて自民党控室に入られたあなたは、「全く未熟な者ですが、皆さんのご支持でこういうことになりました。私は人間社会は、真心は必ず伝わると信じています。誠心誠意でやりますので、どうかご協力願います」と短くあいさつをされました。
信念と人柄のにじみ出たこのあいさつに、万雷の拍手が鳴り響き、感動した私は、自民党全体でしっかりとお支えしなければならないと腹をくくりました。
55年体制を通して対立した水と油の間でした。日本社会党の委員長として、苦渋の決断をされたことも、しばしばあったに違いありません。
自衛隊の合憲や、日章旗、君が代の承認。数々の抜本的な政策変更はおそらく苦渋に、筆舌に尽くし難い重責だったに違いありません。
それでも、自ら火中の栗を拾うその覚悟で、国難に正面から立ち向かうと言われたお姿は、今もなお、党派を超えて、多くの政治家の道しるべとなっております。
今、政治は再び激動期にあります。世界では大国が次々と戦争に手を染め、歯止めのない核軍拡が進む時代は、力による正義とかいう、いかがわしい言葉がまかり通る、帝国の世に逆戻りしたような感じです。
国内にあっても、困窮する人々の生活が二の次となり、政治と金の宿弊から逃れられない旧態依然とした政治が頭をもたげ続けています。
このような時に、力強く平和の尊さを説き続けてこられた、あなたの示唆に富むご見識を伺えないのは、誠に残念でなりません。
それでも、あなたの前に、私は誓わずにはいられません。あなたがたどった平和への歩みを、私たちが受け継いでいくと。どうかやすらかにお眠りください。