2011年に亡くした子どもの墓碑に触れるザファー・サイードさん=10月7日、別府市内のキリスト教墓地
イスラム教の教えにのっとって土葬で娘を見送ったユハン・クエクさん(26)と呉超群(ウーチャオクン)さん(29)は2018年、別府市の立命館アジア太平洋大(APU)に留学するため来日した。
卒業後も市内に残ったのは、温泉の恵みにあふれる街の魅力から離れられなかったからだ。今はインバウンド(訪日客)をガイドする仕事で生計を立てる。
埋葬の翌日、夫婦は「別府がつらい思い出の場所になった」と嘆いた。それから1年近くがたち、クエクさんは朝、自分が目を覚ますことに感慨を覚えることがあるという。
「命は恵み。死は身近にあると娘が教えてくれた」
だからこそ、精いっぱい生きていかないと―。
2人の別府暮らしは今秋、8年目に入った。
■14年前の出来事きっかけ
クエクさん夫婦のように県内に根を下ろしたイスラム教徒(ムスリム)は今、土葬墓地がない現実に苦しんでいる。
大切な人を失ったとき、イスラム教の世界観で「地獄の責め苦」と同義の火葬を避け、土葬で弔うのは簡単でない―。その事実は14年前のある出来事をきっかけに仲間内に広がった。
APU1期生でパキスタン出身のザファー・サイードさん(44)=別府ムスリム教会役員=は11年、子どもを亡くした。悲しみの中、別れの準備を進めたが、土葬のできる場所はなかなか見つからなかった。
やっとの思いで探し出したのが市内のキリスト教墓地だった。その後、県内外のムスリム20人ほどが続き区画は埋まった。
それから頼ってきたのが同じキリスト教の「大分トラピスト修道院」(日出町南畑)の墓地だ。1993年から土葬を続けており、クエクさん夫婦の娘のディヤーちゃんも今年、加わった。
■「娘の生きた意味の一つに」
キリスト教でも火葬が普及する中、ザファーさんと仲間は2018年、「別府ムスリム霊園」の実現を目指して動き出した。修道院に近い同じ南畑内の民有地を確保した。
「キリスト教が土葬の歴史を重ねてきたエリア。私たちが新たに同じような墓地を作っても、近所迷惑とは言われないだろう」
それから7年。
ムスリムの切望した未来は実現していない。
計画は水源汚染を懸念した地元住民の反発、町長選での争点化などの摩擦を起こして頓挫した。解決の糸口も見えない。
尊厳ある死に方を巡る悲愴(ひそう)な願い―。
異文化の慣習に対する大きな戸惑い―。
当事者たちの思いをよそに、インターネット空間で飛び交う宗教差別や「移民反対」の文言―。
土葬墓地を巡る議論は、多文化共生社会に向けた一里塚になっているように映る。
「私たち一家の物語を共有することで、ムスリムと地域が調和する未来につながれば。それが娘の生きた意味の一つになる」
クエクさん、呉さん夫婦はそんな気持ちで取材に応じた、と教えてくれた。