戦中・戦後に米軍が撮影した映像14本を「豊の国宇佐市塾」が新たに報道機関に公開した。空母に突入する特攻機を捉えたものも。17日の「宇佐航空隊平和ウオーク」で一般公開する=同塾提供
宇佐市の地域おこし団体「豊の国宇佐市塾」(平田崇英塾頭)は10日、太平洋戦争中と終戦直後に米軍が撮影した映像14本(計20分35秒)を報道機関に公開した。大分県関係は、大分市坂ノ市出身の機長が乗った偵察機「彩雲」が攻撃を受ける映像があった。
偵察機の映像(5秒)は1945年4月30日午前8時ごろ、鹿児島県奄美大島の南方沖で撮影された。米軍の攻撃により、主翼を炎上させながら降下していく様子が写っていた。
同塾による解析で、偵察機の機長は坂ノ市出身の姫野庸(いさお)中尉=当時(20)=と分かった。3人が搭乗し、航行中の米艦隊を偵察するため鹿屋基地(鹿児島県)から発進。攻撃を受け海面に墜落し、全員死亡した。
44年10月25日の映像(12秒)は、日本軍の「神風(しんぷう)特別攻撃隊」による攻撃を初めて撮影したもの。フィリピンのレイテ島沖を航行する空母の飛行甲板後部に突入し、搭載の爆弾が爆発した瞬間が記録されていた。
翌26日の特攻を撮った映像(2分6秒)も初公開された。空母に突入、爆発して黒煙が上がる様子が写っている。米軍の記録によると、100人以上の死傷者が出たとされる。
映像は同塾が2013年から23年にかけ取得。米軍の戦闘報告書や地形などから日時、場所を特定した。
映像解析を担当した塾生の織田祐輔さん(38)は「これまで初期の特攻の様子は写真しか残っていなかった。映像が見つかったのは貴重」と説明している。
今回と3月に公開された映像は、宇佐市の戦争遺構を巡る第19回宇佐航空隊平和ウオーク(今月17日開催)で一般公開する。