摩尼尊彦前住職の遺影を手に、半鐘の帰還を喜ぶ神月法嗣=国東市国東町の興導寺
【国東】江戸期に鋳造されたとみられる半鐘が、約80年ぶりに国東市国東町鶴川の興導寺に戻った。戦時中に供出の難を逃れ、約3・5キロ南の旭日小に保管されていた。同寺の摩尼神月法嗣(まにこうげつ・ほっし)(63)によると、一昨年に急逝した夫の尊彦(そんげん)住職が鐘の帰還を願い続けていたという。「きっと喜んでいるはず」と思いをはせた。
半鐘は高さ約48センチ、直径約27センチ。江戸時代の住職の名や、「この鐘の声は法界を超える願いの鐘」「この世に生きる全てのものが正に目覚める」といった意味の銘文が刻まれている。
戦時中は兵器用の金属が不足し、1941年に金属類回収令が公布された。同校運営委員の清原正義さん(74)によると、寺関係者が半鐘の供出を忍びなく思い、旭日小に預けたと考えられる。
戦後、昭和30年代までは授業の始まりと終わりに鳴らされていたらしい。電子チャイムが普及して役割を終え、玄関に飾られていた。尊彦住職は半鐘の存在を知っていたものの、子どもたちに遠慮していたのか、正式に返却を求めることはなかったという。
同校が今年3月末で閉校となったため、清原さんが学校関係者に呼びかけ、寺に返す運びとなった。同月21日、神月法嗣に半鐘を渡した。
市の文化財調査委員も務める清原さんは「あるべき場所に戻って良かった。平和な鐘の音を響かせてくれるとうれしい」と話した。