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「お父さん、お帰りなさい」 旧ソ連で戦病死、遺骨返還

庄内町出身の安部数雄さん、DNAで判明

 第2次世界大戦後、旧ソ連のハバロフスクで戦病死した由布市庄内町出身の安部数雄さん(享年35)の遺骨が今春、大分市内に住む遺族の元に返還された。厚生労働省が進めるDNA型鑑定で判明した。遺骨を受け取った家族は「お父さん、お帰りなさい。長い年月がかかったけれど、やっと古里に戻ることができましたよ」と喜んでいる。
 遺族によると、数雄さんは農家の次男として生まれ、日田市の日田林工学校(現日田林工高)を卒業。その後、満州国に渡り営林所に就職した。4人の子どもにも恵まれ、子煩悩で優しい人だったという。妻キク枝さんが5人目の子どもを身ごもっていた終戦直前に召集令状が届き、ソ連に向かったという。
 満州にいた家族は終戦翌年の1946年6月に帰国した。数雄さんの生死が分からないままだった。それから十数年が経過し、戦死公報が届いた。「46年7月1日、ソ連ハバロフスクの病院で戦病死した」という内容だった。遺骨はなく、渡された骨つぼには名前と出身地を記した小さな位牌(いはい)が入っていただけだったという。
 政府派遣の遺骨帰還団は2014~16年にハバロフスクの「第3762野病スタールト居住地区第1、第2墓地」を調査。収容した209柱のうち、DNA型鑑定が可能な78柱の鑑定を進めていた。数雄さんの長男宏さん(79)、孫の徹さん(47)が検体を提出し、特定につながった。
 今年3月15日、県の担当者が大分市明野高尾に住む宏さん宅を訪れ、白い布に包まれた遺骨を届けた。親族が集まり、「長い時間かかったね」「お帰りなさい」と声を掛けた。
 女手一つで子どもを育てたキク枝さんは1978年に64歳で亡くなった。終戦後に生まれた四女の岡崎数子さん(73)は「名前に1字もらったが父との思い出がない。さみしい思いもしてきたが帰ってきてくれてうれしい。母にやっと報告できる」と涙ぐんだ。
 数雄さんは7月1日に74回目の命日を迎える。帰還した遺骨は長い月日を経てようやく、妻や先祖が眠る墓地に埋葬される。

<メモ>
 厚生労働省は2003年からDNA型鑑定を開始。今年5月末までに1149柱の身元が判明し、2011柱は鑑定不能との結論が出ている。現在も各地で遺骨収集を進めながら鑑定をしている。同省によると、DNA型鑑定により県在住の遺族へ返還された遺骨は11柱。遺留品などで分かったものを含めると計15柱に上る。
※この記事は、6月8日大分合同新聞夕刊11ページに掲載されています。
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