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威信財としての「名物」 第4章「大友氏領国における茶の湯文化」

論文集「戦国大名大友氏の館と権力」

 大友宗麟はとかく移り気な性格だったといわれます。こと茶の湯に関しても、「名物(めいぶつ)」と称される高価な茶道具の収集に傾倒したかと思いきや、それを放出してキリスト教の教会建設費を工面する、そんなイメージで語られてきたようです。
 ただ、茶の湯に傾倒したのは宗麟だけではありません。戦国武将は大なり小なり茶の湯に親しんでいました。織田信長の家臣滝川一益(かずます)が恩賞として上野(こうずけ)国を拝領したにもかかわらず、信長愛用の茶器を拝領できなかったことを悔やんだ―という有名な話があるように、時として茶道具は一国一城よりも高い価値を持ったのです。
 もちろん、コレクターとして良い茶道具を収集したいという個人的な趣向も働いていたでしょう。しかし、それだけでしょうか。
 「名物」とは「名のある物」のことで、数ある道具の中から選び抜かれ「名」(銘)を与えられた物です。また、「名物」の種別ごとにランク付けがなされ、評価額も定まっていきます。
 つまり、ランク付けされた「名物」を持つことは、その人の政治的、経済的、文化的なステータスに関わります。戦国大名にとって「名物」は「威信財」として機能する物だったといえます。
 宗麟は名門大友家を相続した後、ライバル大内氏の滅亡に乗じて、永禄2(1559)年に九州6カ国の守護となり、かつ名目上の九州探題(たんだい)にもなりました。急速に拡大する領国を統治するためには、武力に裏付けられた「権力」が重要ですが、それと並行して周囲から「権威」として認められる必要も生じてきます。そこで宗麟が目を付けたのが「威信財」としての「名物」だったのです。
 一例を挙げると、宗麟は名物の肩衝茶入(かたつきちゃいれ)「新田(にった)」を3千貫文(現在の約3億円)の高値で購入しています。これは室町幕府管領(かんれい)であった細川晴元の旧蔵品で、「天下一」の評判がありました。その入手時期は永禄3年前後、ちょうど6カ国守護と九州探題になった頃なのです。
 戦国武将の茶の湯には、館の会所(やかたのかいしょ)(宴会場)で大人数で催すものと、茶室で少人数により催すものがあります。宗麟はどちらもたしなんでいた可能性があります。前者の場合、名物を参加者に「見せる」「見られる」という行為、つまり名物の「威信財」としての効果が強く発揮されることになります。
 まだまだ分からないことが多いのですが、宗麟の茶の湯への傾倒は、個人の趣向というよりは「政治家」としての周到な打算によるものだったとみるべきでしょう。
 (荒木和憲・国立歴史民俗博物館准教授)
※この記事は、12月22日大分合同新聞朝刊19ページに掲載されています。
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