17歳で大工、26歳で代表に。グランレブリー河村が「関西No.1注文住宅会社」を目指すまで


京都を拠点に、不動産・注文住宅事業を展開する株式会社グランレブリー。デザイン性の高い住まいと「チーム施工」を強みに、注文住宅分野で急成長を遂げている。


その舵を取るのが、17歳で大工の道に入り、26歳で代表に就任した二代目社長・河村広貴だ。会社を成長させるために“嫌われ役”を引き受け、組織と事業を一度壊し、つくり直してきた。

 

「面白そうなことは全部やりたい」――幼少期から変わらないその衝動は、職人、営業、経営者という異なる立場を経験するなかで、やがて“人と組織で勝負する家づくり”に結実していく。河村の原点と、グランレブリーが描くこれからに迫った。

「面白そう」を全部やる。17歳で大工の世界へ


面白そうなことは全部やりたい。それも、気の合う仲間とともにできたら最高――河村は幼いころ、一言でいえばそんな子どもだった。

 

生まれ育ったのは京都の田舎だ。川や田んぼを走り回り、仲のいい友達と毎日暗くなるまで遊ぶ。誰かがやっていると聞けば興味がわいて、習いごとにもたくさん首をつっこんだ。とくに面白かったのは、絵と野球だ。同じモチーフをみんなで見つめて筆を動かし、完成した互いの絵を見るのが楽しかった。野球はあまり上達しなかったけれど、友達といっしょに思いきり体を動かすのは爽快で、一番長く続いた。

 

勉強には興味が持てず、学校の成績はいつも下から10番目くらい。高校受験はこれまでの通知表も合否に影響するため、偏差値が高くない私立高校を受けるのが順当なルートだった。ところが河村は中学3年になってから猛勉強をはじめ、誰もが無理だといったレベルの公立高校にチャレンジし、合格。とつぜんの努力の理由を「あのときの俺が頑張って公立に受かったら、周りがびっくりすると思っただけ」と笑う。受験勉強に打ち込み、誰も予想だにしない結果を出すことが、当時の河村にとって一番“面白そう”だったのだろう。実際に周りは驚いたし、スイッチが入ったときの河村は強いということを証明した。

 

ところが、それほど頑張って入学した高校にもかかわらず、2年生に進級するタイミングで中退。受験に没頭しただけでもともと勉強はきらいだから、目的を果たして気が済んだともいえる。その後しばらくは地元で遊んでばかりいたものの、一年も経たないうちにそんな生活に飽きた。 

 

 

「このまま何もせずに暮らしていたらやばい、と思いました。なにか手に職をつけたくて、ペンキ屋にでもなろうかと考えた。父親が不動産会社を経営していたから、建設業界は身近な存在だったんですね。親の背中を追ったつもりはなかったけれど、刷り込まれているものがあったんでしょう。結局、父親が信頼できる方に口をきいてくれて、大工の見習いになりました」

 

小さいころはよく社員旅行にも参加していたし、職人の知り合いはたくさんいて、どういう人と働くかのイメージはできていた。しかし、大工の仕事については右も左もわからなければ、社会人経験すらない17歳だ。当時の大工は、いま以上に過酷な世界。ハードな出勤初日のことは、17年経ったいまでもよく覚えている。

 

「朝、迎えの車に乗せてもらって、そのまま滋賀の現場に行きました。もちろん何をすればいいかなんてわからないから、言われるがまま、見よう見まねです。寒いなか朝から晩まで力仕事をした帰り道、疲れた体をまた車に預けて『働くってこんなに大変なんや……』と思いました」

 

それから毎日のように現場に出るも、一万円に満たない日当では、コンビニで同じ時間アルバイトをしているほうがよっぽど稼げる。ぼろぼろの作業着で木材をカットしながら、重いボードを運びながら、何度も「なんでこんなことしなあかんねん」と思った。一番つらかったのは、自分に技術がないこと。「忙しさや人間関係も大変だったけど、自分に力がないことに打ちのめされた」と、河村は当時を振り返る。

 

それでも、河村は一度も辞めようと思ったことがない。つてで働かせてもらっている恩もあったし、現場には自身の成長に目をかけてくれる人もいた。だったら、やるしかない。手に職をつけて稼げるようになりたいというモチベーションもあった。

 

「とくに6歳上の先輩二人には助けられました。現場での仕事をサポートしながら丁寧に教えてくれて、おかげで技術が身についたと思います。大工って、何ミリ単位の作業が多いから、本当に職人の腕が大事なんですよね。いろんな作業をしながら、家ってこうやって建てるんだ、こんな部分までこだわるんだ……と、ひとつずつ覚えていきました」

 

細かい手作業はあまり好きではなかったものの、家が完成していく過程は、見ていて楽しかった。職人みんなで力を合わせ、一日で基礎や柱を組んでいく棟上げの日は、とくにわくわくしたという。

 

「そのときは、一生大工で食っていくつもりでした。父親が経営している不動産会社を『ボンボンだからどうせ継ぐんだろ』と言われることも多かったけれど、本当にそんな話は出ていなかったし、興味もなかったです」


厳しいからこそ仕事は面白い。二代目社長就任で「嫌われ役」に

大工として3年働いたのち、父親にすすめられて不動産仲介の会社に転職をした。厳しい大工よりもさらに厳しい仕事だといわれ、面白そうだと興味がわいたのだ。

 

「父親に紹介されたときは『不動産仲介ってなに?』という状態でした。まったくやったことのない仕事で、しかも業界でも厳しいと有名な会社です。でも、大工としてきつい肉体労働をこなしてきた自分なら、やれるに決まっている。新しい環境での挑戦にも惹かれたし、周りが言う“厳しさ”がどれほどのものか試してやる、と思いました」

 

ここでもまた河村は、初日の洗礼を受けた。先輩社員がお客様を物件に案内し、その日のうちに購入申し込みまでこぎつける場面に居合わせたのだ。「先輩の言葉が物件の魅力を伝え、お客様に行動を起こさせたことで、数千万円の売り上げになったんですよ。たった一日でそんなことができるんだとしびれ、その夜は眠れませんでした」

 

前評判どおり仕事は厳しかった。これまで肉体労働しかやってこなかったため、最初のうちは敬語やビジネス文書、身だしなみといった基本のマナーさえあやしく、お客様から怒鳴られることもしばしば。それでも、社内外でさまざまな指摘を受けるごとに、河村は地道な改善を重ねていった。初日の商談同席によって受けた衝撃が、河村を動かし続けたのだ。

 

「苦手な文章を練習するために毎日日記を書いたり、どんなふうにお客様をご案内したか振り返って反省したり……鏡の前でしゃべり方の練習をしたこともありましたね。まずは教わったことを忠実につぶしていきました。先輩と同じように自分の言葉や振る舞いで人を動かし、大きな売り上げをつかめる営業マンになりたかったから」

 

お客様がこうおっしゃったら、こういう情報を伝えると喜んでもらえる。これがネックになっているときは、このアクションが効く……現場での学びを実践することの繰り返しで、河村の成約率はどんどん上がっていった。

 

ところが、仲介の仕事を始めてから3年が経ったとき、父親が病に伏した。それをきっかけにいよいよ声がかかり、父が経営する株式会社グランレブリーに転職。そのときでさえ会社を継ぐといった話は出なかったが、すでに不動産にまつわるさまざまな経験を積んだ河村の目に、父の会社は退屈に見えた。

 

「当時のグランレブリーは土地を購入し、そこに新築を建てて販売するだけの会社でした。でも、実際の販売は仲介業者に任せきりのことが多く、営業のレベルがあまり高くなかった。社内の組織体制や就業ルールも整っていないし、ホームページさえもない。だからこそ、まだ伸びしろがあるようにも感じられました。全部思いきり変えてしまえば、もっと成果が出せるはずだと思ったんです」

 

そこで河村が選んだのは、嫌われ役を引き受けることだった。親ほどの年齢の先輩社員が並ぶ会議で「年間12件すら売れないような営業マンは辞めたほうがいい」と発言し、発破をかける。自分自身は誰よりも数字をとって、その発言力を高めていった。実際に、河村が入社してから、売り上げは2倍3倍と拡大。ホームページをつくったり、ハローワーク主体だった求人に採用媒体を使ったり、社内のさまざまな仕組みにも手を入れた。「尖った言動をしていた自覚はあるけれど、態度と数字で、いまの空気を変えていくしかないと思ったから」と、少し苦笑いを浮かべる。

 

代表として父から会社を託されたのが、26歳のときのことだ。


 

「会社を成長させることが正義だと考えていたので、乱暴な改革もやってきたと思います。グランレブリーが変わっていく姿を見るのは、父にとって子どもの成長を感じる反面、居場所がなくなるさみしさがあったかもしれません。実際に、代表権を譲られてからは親子で何度も衝突してきました。でも、会社を大きくすることが結局は父への恩返しにもなるんじゃないかと思っていて……面と向かって伝えたことはないけれど、土台をつくってくれた感謝もあります」

 

二代目はアホが多くて、継いだ会社をすぐつぶす――幼いころから幾度となく、周りに言われてきた言葉だ。そのせいで心のどこかにずっと、自分の実力を認めさせたいという気持ちがあった。だからこそ、責任を背負ってしっかり前に進み、さらに会社を大きくするのだと、心に決めていた。

土地ではなく、人で選ばれる会社をつくる



さらなる成長を求めて、グランレブリーは2022年から新たな挑戦に乗り出した。注文住宅事業だ。

 

これまでの不動産事業では、何億というコストをかけて土地を購入し、新築を建てて売却するまでに最短でも2年。長ければ5年ほどの月日がかかる。資金の回収速度が遅く、売れ残るリスクも少なくない。

 

「このスピードで進むビジネスじゃ、社員のスキルがなかなか育たないのも無理はありません。しかも、いい土地が買えなければ勝負の土俵にも立てない。購入してくださるお客様が見ているのも土地の場所だけで、私たちのことはほとんど目に入っていないんです」

 

そんな不動産事業と違って、注文住宅事業ならこの会社はどんなテイストが得意で、どんな監督やコーディネーターがいて、どんな家を建てるのか、グランレブリー自身を見てもらえる。ユーザーがハウスメーカーを選ぶときの判断材料は、立地と価格だけではない――「この会社に任せたい」「この人に任せたい」と思うかどうかだ。

 

「グランレブリーというブランドを確立すれば、メンバーやスキルで勝負できる余白が増えるんです。もちろんいばらの道でもあるけれど、やりがいも大きくなるはず」

 

もちろん、初めての事業をやるにあたって準備することは少なくない。商品ラインナップを整え、住宅展示場やインテリアブランドとコラボレーションしていくことと並行して、営業の顔が見える顧客対応をすすめていった。SNSやYouTubeなどで河村みずから顔を出し、思いを発信もしてきた。

 

「お客様に親しみを持ってもらえたら、私たちへのご相談がしやすくなると思うんです。変な話、難しい交渉やクレームだってきっと打ち明けやすいはず。一生に一度の大きな買い物でお客様が後悔することのないように、距離が近くて対話ができる関係性を築きたいと思っています」


 

はじめは顧客として知り合った方が、のちに就職活動を経てグランレブリーに入社してきたこともある。「いい会社だと思ってもらえた証だから、すごくうれしかった」と、河村は言う。

 

お客様に貢献できる人材を育てていくために、組織の仕組みや評価制度、就業規則なども大きく見直した。新グランレブリーが大切にしているのは「チーム施工」。メンバー同士が密に連携していないと、顧客満足度の高い家はできないという思いから掲げたミッションだ。社内で作り上げたチームワークが、よいものを生み出す礎になると信じている。誠実にお客様と向き合うことは決して楽ではないからこそ、厳しい仕事もともに楽しめる仲間や温かい環境が必要なのだと、河村は考える。

 

グランレブリーの注文住宅は、デザインの強さが売りだ。価格に対してデザインの自由度が高く、お客様の要望に柔軟に応えられる。ベンチマークしてきたのは、リーズナブルでも品質の高いユニクロや、スタイリッシュなZARA。初年度は4件だった注文がたった2年9ヶ月で60件を超え、4年目にはリフォームや土地の売買を合わせて110件にたどり着いた。入社当時ホームページもなかった会社が、わずか4年で、京都で最も名前が挙がる注文住宅ブランドの一つになったのだ。従来の事業に依存せず、「グランレブリーがつくる家」という新しい価値を築けたからこその結果だといえる。




次に目指すのは、2031年までに関西No.1の注文住宅会社になること。そのために足りないのは「自分たちの成長」だと、河村はまっすぐに先を見る。

 

組織の力はだんだんと強くなってきた。お互いに助け合いながら、いい熱量で仕事に向き合えている。ただ、現状維持では足りない。グランレブリーならではのブランド力や強みを磨き、より多くのお客様を幸せにするためには、成長し続けることが必要だ。自分が昔、痛みを伴いながらグランレブリーを壊し、つくりかえたように、必要なら何度でも大きな改革をしていく。

 

「自分よりも経営に優れた人材がいて、グランレブリーを任せられると思ったなら、いつだって僕はこのポジションを譲ります。それで、会社を前に進め続ける。速度が速すぎてついてこられない人が出てくるかもしれないけれど、関西No.1を目指すには、そのスピード感も欠かせません。自分自身も振り落とされないように、まだまだ成長を続けていきたい」

 

自分に与えられた役割をまっとうして、河村は周りの期待を軽々と超えていく。だって、それが面白いから。そしてグランレブリーという船ならば、もっと遠くへ行けるはずだ。もしも成長が止まるなら、その船だってまた壊して、つくりなおす。



河村広貴 Instagram https://www.instagram.com/hiroki__kawamura/




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