大分合同新聞納涼花火シリーズ2019

大分合同新聞納涼花火シリーズ

別府会場 7月28日(日) 20:00スタート!

上野又三郎 豊後水道の要地を相続

 前回紹介した「上野家文書」「下田文書」から明らかになる歴代大友氏当主と上野氏の関わりは、14世紀後半南北朝期の10代大友親世(ちかよ)から始まり、15世紀後半の16代政親(まさちか)と18代親治(ちかはる)、そして16世紀の義鑑(よしあき)・義鎮(よししげ)(宗麟)・義統(よしむね)(20~22代)に及びます。

 そうした上野氏の16世紀後半期の在地領主制(豊後国内での領地)が、佐賀郷からその南部の臼杵荘にかけての豊後水道沿岸に展開していたことを示す史料があります。「上野家文書」中の大友義鎮書状によると、上野氏は、佐賀郷の山野での裁判権行使を認められ、特に同郷の一尺屋(大分市)と臼杵荘の佐志生(さしう)(臼杵市)においても山野差配の権限を認められているのです。

 この佐賀関、一尺屋、佐志生の三つの地は、いずれも九州東岸の佐賀関半島から臼杵湾央に連なるリアス海岸での良港です。一尺屋は、同じ大友家臣の水軍衆若林氏が本拠を置く上浦(うわうら)・下浦(したうら)の二港からなる港町です。また、臼杵荘佐志生とその沖の黒島は、慶長5(1600)年にオランダ船リーフデ号が着岸した港で、その乗組員には後に江戸幕府の将軍徳川家康の外交顧問になるヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)も含まれていたことは周知の通りです。

 16世紀に上野氏が諸権益を有した佐賀関、一尺屋、佐志生の地は、太平洋や東シナ海から九州の東岸沿いを北進する船舶が、日向灘から豊後水道を抜けて瀬戸内海に入る際に必ず通らねばならない豊予海峡(四国の佐田岬半島と九州の佐賀関半島が向き合い狭まった外海と内海の境界)に位置しています。つまり、瀬戸内海へ入り込もうとする海上勢力が海峡を通過する手前で抑えることができる絶好の地理的条件を備えた港だったのです。

 海上の交通や流通でのこうした重要な地域や海域に勢力を張る上野氏に対して、上級権力としての大友氏は主従関係の強化を積極的に進めます。特に、戦国時代後期の大友義鎮は「下田文書」中の写真の古文書のように、上野家の相続に介入していくのです。「親父掃部助(かもんのすけ)鑑稔一跡(あきとしいっせき)の事、相続の旨に任せ、領掌(りょうしょう)相違あるべからず候」

 大友義鎮は、若い上野又三郎が申し出てきた願いに応じ、父親上野鑑稔からの相続について「領掌」(承諾した)と、主君として家臣の家相続を公認する書状を発給したのです。又三郎は、主君からのこうしたお墨付きを得て、一族をまとめる家督としての力を発揮することになります。(名古屋学院大学国際文化学部教授)
2019年4月27日

大友時代を生きた人々

 鎌倉時代から戦国時代にかけて豊後を統治した大友氏。その時代の歴史や文化を担った「ひと」にスポットを当て、当時の「人々」がどのような人間的営みをしていたかを紹介します。筆者は大分市出身の歴史家、鹿毛敏夫さん。

かげ・としお

1963年大分市生まれ。県立先哲史料館研究員、東京大学史料編纂(へんさん)所研究員、新居浜高専教授などを経て、現在、名古屋学院大学国際文化学部教授。博士(文学)。著書に「大航海時代のアジアと大友宗麟」「アジアン戦国大名大友氏の研究」「月に名前を残した男 江戸の天文学者 麻田剛立」などがある。

※この連載は、大分合同新聞 月曜朝刊の文化面に毎月1回 掲載されています。

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