大人になると、遊び心がしぼんでくる。
友達に膝ガックンして逃げたのは、いつが最後だったろう。草むらで秘密基地をつくって遊んだ思い出は、もう再現することのないだろう永遠の宝物だ。
会社で、組織で生きていくため、誰しもが段々と現実の重みにはまっていく。常識という手かせ足かせに、身動きが取れなくなる。無駄なこと、無意味なことはしなくなる。
それでいいのか。なんだか、寂しくないか。
いや、よくない。
生きている限りは、心ばかりは少年少女のままでいたい。
あるハナ金の夜。一人のしがない中年サラリーマンが、人けのない郊外の公園に足を運んでいた。かばんにしのばせた赤い布を取り出すと、洗濯ばさみでワイシャツの肩にくっつけた。
誰も見ていない今だから言える。僕は今、天下無敵のヒーローだ!
「たぁっ」
星空だけが見守る砂地の広場を、駆けた。無心に駆けた。背中につけた即席マントが、ヒラヒラとなびいた。特撮スターになった気分が、しないでもない。
タッタッタッ
右手を前に突き出し、砂地をぐるぐる駆け巡る。意外と楽しい。気持ちいい。今、誰かが私を見つけたら、アブない人だと思うだろう。その通り。誰かに見られたら、アウトだ。
童心に返って何周か回っていると、公園の角から人影が現れるのに気づいた。まずい。間もなく私は、不審者だ。思わず足がもつれた。小石につまずいた。最悪だ・・
その時だ。
フワリ
体が、浮いた。背中のマントが、風をはらんでピーンと張った。公園の全景が眼下に広がった。
「え、すごーい」
通行人が、私を見上げて黄色い声を上げた。若いお姉さんのようだ。そんな人から「すごい」なんて言われるのは、うん十年ぶりかな。むひょひょ。
悦に入っている間も、体は一直線にどこかへ向かって飛んでいく。いや、運ばれていくといった方が適当だろうか。一体、どうなるんだ自分は。
不安をワクワクが上回る。突然訪れた大冒険のチャンスだ。体中の血管が興奮で沸き立った。マントをたなびかせ、いつか口にしたかったワードをつぶやいた。
「いざ、ゆかん」
・・・
カタン
工房の玄関辺りで、物音がした。
こんな夜更けに、誰だいまったく。
小難しい表情で頭を上げたのは、作務衣(さむえ)姿の中年男。手にしていた鑿(のみ)を、脇に置いた。
男は一介の仏像彫り。名のある家に生まれ、当主としてそこそこ知られてはいた。
でも、心の底ではモヤモヤばかり。今も一本の材木と向き合ってはいるものの、納得いく作品が仕上がらない。親父やご先祖さまのように、威厳にあふれた仏様を彫り上げることができない。
俺、才能ないのか。この仕事、向いてないのか。中年の、危機か・・
手元で仏を彫っていながら、どこか遠くにいるかもしれない救い主に向けて祈っていた。「どうかお助けください」
願いが思わず口をついて出たところに、先ほどの「カタン」ときた。気にならないといえば、嘘になる。
こんな夜更けだ。まあ、ろくな客じゃないだろう。けれど、ひょっとしたら、運命を変えてくれる誰かかもしれない。一縷(いちる)の期待を抱き、立ち上がった。
ガラガラ
玄関の引き戸を開けた。
マント姿の中年おじさんが、立っていた。
軽く、立ちくらみを覚えた。
「何用ですか」
「いや、気づいたらここに立ってましてね」
会話もかみ合わない。いい年こいたおじさんが、なんとまあ子どもじみた格好を。力が抜けた。
それに、ややよれたワイシャツと、背中の赤いマント。大方、さっきまで職場の飲み会なんかではしゃいでいたサラリーマンかなんかだろう。それで、帰り道に変なところでタクシーから降りてしまったと。どうみても運命の救い主ではなさそうだ。
・・・
でも。待てよ。
作務衣の男は、曇(くも)った心に一筋の光が差し込んだように感じた。
「救い主」といえばこういうものって、一体誰が決めたんだ。
威厳があって、慈愛にあふれて、気品があって。そんなイメージ、俺が勝手に決めつけていただけじゃないか。
さえない風貌(ふうぼう)のサラリーマンを前にして、作務衣男は自分がしがみついてきた「先入観」という見えない鎖に気づいた。
大切なことは、固定観念から自由になることなのか。
作務衣男は、憑(つ)きものから解放されたかのように、フハハハと大声を出して笑った。
今度はサラリーマンのほうが身構える番だった。大丈夫だろうか、このおじさん。
すると作務衣男は察したように語りかけた。「いやいやすいません、ちょっと気づいたことがあって。マントのおじさん、ありがとう」
深々と頭を下げられ、サラリーマンはたじろいだ。自分はまだ何もしていない。動揺にたたみかけるように、作務衣男は財布から渋沢栄一を一枚取り出した。それをサラリーマンに握らせた。「まあ、今晩はこれでおうちまで無事に帰ってくださいな。今度は降りる先、間違えたらダメですよ」
感謝され、お札までもらっちゃった。
何が起きたのか、さっぱり分からなかったが、月給暮らしのわびしい性分、頂けるものは頂くことにした。「いやまあ、すいませんなあ」
サラリーマンは、知らないまちの夜道を歩き出した。四つ辻を曲がり、見送る作務衣男の姿が消えたところで、足を止めた。
自分は一体、何をしたのだろう。ここは、どこだろう。何で、空を飛べたんだろう。「ありがとう」って、どういう意味だったんだ。
考えるほど訳が分からない。そして、もっともらしくつぶやいた。「まったく、飲まないとやってられない」
先ほどの渋沢を軍資金に、赤提灯(ちょうちん)を探した。
一軒見つけ、のれんをくぐった。カウンター席に腰を下ろした。キンキンに冷えた中ジョッキをまずはグーッと喉に流し込んだ。フゥ、たまらん。
「今日は、ご苦労だったな」
隣から、低い声がした。ビックリした。いつのまにか、サングラスをつけた別のおじさんがいる。熱燗(あつかん)を手に、テーブルに視線を落としている。誰だこの人は。
サングラス男は、視線を合わせることなく、うつむいたまま語り出した。繰り出す言葉に、サラリーマンは唖然(あぜん)とした。
「『世界ヒーロー協会』への入会、おめでとう」
(文・マーおじさん)
~(中)に続く~
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