防空壕に刻まれた「木工班 19,12,22」の文字=大分市屋山
【大分】大分市屋山に残る防空壕(ごう)の内部で、近くにあった日本軍の火薬製造所に関係するとみられる文字が壁に刻まれているのを、同市出身のジャーナリスト、藤井通彦さん(68)=福岡市=が発見した。「単なる防空壕ではなく、火薬製造所に関わる簡易作業所としても使われていた可能性がある。貴重な戦争遺跡だ」と話している。
藤井さんは大分市坂ノ市地区にあった日本最大級の火薬製造所「東京第二陸軍造兵廠(しょう)坂ノ市製造所」について調査してきた。建設の経緯や稼働状況、製造所建設が住民や地域に与えた影響などを著書にもまとめている。
昨年12月に市内で開いた出版報告会の終了後、地元住民の平山幸生さん(74)から「製造所付近の遺構を案内したい」と声をかけられた。2人で旧製造所区域の4カ所の防空壕や陸軍用地標柱などを見て回った際、屋山の防空壕に文字が刻まれていることに藤井さんが気付いたという。
防空壕は高さ約2メートル、幅約2メートル、長さ約20メートル。入り口左側の壁面に「木工班 19、12、22」と刻まれている。藤井さんの調査で判明した構内配置図に照らすと、防空壕は製造所の木工場があった場所から50メートルほどの場所に位置する。「製造所関連の遺構とみていいだろう。数字は完成日(昭和19年12月22日)ではないか」とみる。
後世の落書きの可能性も否定はできないが、防空壕の所有者が「昭和40年代には文字があった」と証言しており、「記された日は戦局が厳しくなり、全国で空襲が激化した時期とも合致する。木工場の作業員の避難所、簡易作業場として作られたものと推察される」と結論づけた。
平山さんは「子どもの頃、幾度となく遊んだ場所だが文字には全く気付かなかった」と驚いた。
藤井さんは旧製造所の遺構を後世に継承しようと各地で講演をしている。今月1日、小佐井校区公民館であった講演会の中で、防空壕の文字について初披露し、「遺構は地域の貴重な歴史財産。坂ノ市製造所の歴史を一人でも多くの市民に知ってもらいたい」と話した。