お天道さんの下で歩き、日が暮れるとテントを張る。この繰り返しにすぎない旅にも、それなりに出会いがある。ホンワカすることもあれば、ヒヤリとすることもある。
20年以上続けている中で、とりわけ怖い思いをしたことがある。その相手が何か、ご想像がつくだろうか。次の3択のどれか一つです。
1、人間(暴走族など)
2、動物
3、お化け
ちなみに1、2、3のいずれも複数回、遭遇した。どれもドキリ、ヒヤリ、ビクリとしたが、このうち一つはダントツで怖かった。30秒ほどのシンキングタイムの後に、次の段落へどうぞ。
答えは2だ。何しろ言葉が通じない。これはきつい。人里離れた山あいの道を歩いていると、野生のサルが枝を揺らしてこちらを威嚇してきたり、野良犬が突然現れて食べ物をせがんでくることが何度かあった。うかつな対応をすると、かまれたり引っかかれたりされかねず、肝を冷やした。
中でも心臓に悪かったのは、山中でテントを張ったときに夜間現れるイノシシだ。私は今でこそキャンプ場でしかテントを張らないが、20代の頃は時折、山中野宿をしていた。人気のない暗闇で一人、ゴロリとなる解放感がたまらないからだが、何度かイノシシに遭遇した。
20年ほど前、熊本県は清流・人吉川に沿って南下していた時のこと。民家も車の通りもほとんどない道のそばで、野っ原を見つけると、いつものようにテントを張った。一度中に入ると、基本的に外には出ないようにしている。マムシにかまれるリスクもあるからだ。ということで後は体を横たえるだけ。じっとしていれば特段、危険なこともない。静けさに溶け込んだ。
時刻は覚えていないが、遠くで「ブヒブヒ」という鳴き声か鼻息かが聞こえた。あいやあ、現れたか。こうなったらもう、気配を消して去るのを待つしかない。
気になることがあった。ブヒブヒに続いて、プヒプヒと、やや小さく可愛らしい鳴き声もいくつか聞こえてきたのだ。あ、これは親子連れだ。しかも数匹いるようだ。
私は歩き旅の道中で出会った方々の一人から「親子連れのイノシシには気をつけよ」と助言を受けていた。親のイノシシは、子どもを守ろうと襲ってくる可能性が高いからだ。野宿地で親子連れに遭遇するのは、この時が初めてだったので、冷や汗も出てこないほど緊張した。
ブヒブヒ、プヒプヒは、信じられないことにテントのすぐそばまで近づいてきた。栗の実でも落ちていたのかもしれない。もう逃げられない。ちょっとでも気配を察知されたら、突進してくるかもしれない。
せめて最初の一撃ぐらいはかわしたい。そう考えると、自然に体があるポーズを取っていた。背中は地面につけ、両脚は宙に浮かせる。両腕はファイティングポーズ。この体勢なら、まず背後は取られない。それに、仮に親イノシシがシートを破って突進してきても、牙(きば)を両脚ではね上げて致命傷を逃れることはできるかもしれない。
心の中で「父ちゃん母ちゃんごめん」と謝りながら、ふと思った。このポーズ、どこかで見たことあるぞ。
そう、プロレス界のヒーロー、アントニオ猪木が、ボクシング界の王者ことモハメド・アリと闘った際にとった体勢ではないか!
あの時、観衆とアリは弱弱しい構えの猪木を嘲(あざけ)った。後に「世紀の凡戦(ぼんせん)」とも呼ばれたそうだ。だが今、こうして正真正銘のピンチを目の前にしたとき、自分が無意識に取っていたのはヒーローのポーズだった。守りに徹した最善の構え。アリも結局、手も足も出なかった。猪木、すげえ! 猪木、最強や!
頭の中で無闇に興奮したり、足元の現実に戻って絶望しかけたり、わけが分からない。猪木ポーズを維持したまま、こちらにいまだ気付かない相手とシート越しに向き合う息苦しい膠着(こうちゃく)時間が続いた。
40分ほどたった頃だったか。突然悲鳴が聞こえた。「ブヒヒヒー!」。ついにきたか。
が、シートは破られなかった。絶叫に続いて、プヒヒヒの小さな叫び声も聞こえた。やがて一団の鳴き声は遠ざかった。
朝になり、テントから出た。そばには小川が流れており、ちょっとした崖になっていた。どうもイノシシ親子は誤って崖から落ちてしまったようだ。そして川沿いに上流の山林へと戻っていったのだろう。私は命拾いしたことに感謝し、よほどのことでない限りは山中野宿は控えようと決めた。
今はクマがどこにでも現れる時代。山中野宿などありえない。ということで、もう経験することはないが、肝の冷え具合はトビキリで、忘れようにも忘れられない。
ということで、当時のおさらいをして今回の締めくくりとしたい。
1、動物が、一番コワい。
2、猪木は、一番強い。
(旅師X)
~ここらで休足。また歩きます~
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