2000年以降の四半世紀で12万人以上―。 交通事故は膨大な数の犠牲者を出してきた。その一人一人に、かけがえのない人生があった。そして、残された遺族も、大きな喪失感にさいなまれている。 札幌市の元高校教員、前田敏章さん(76)は「あの日」を忘れたことがない。 「どうして私が、こんな目に遭わなくてはならなかったの?」 今も名刺入れにしのばせている娘の遺影を見るたび、問いかけられている気がする。 でも、何も答えることができない。 冷たい雨が降る1995年10月の朝だった。 高校2年の長女千尋さん=当時(17)=をJR駅まで送った。車から降りる背中に、「行ってらっしゃい」と声をかけたのが最後になった。 午後6時半ごろ、勤務先の高校に妻からの電話が入った。「千尋が車にひかれた」。急いで病院に向かうと、診察台の上に白い布がかかった娘が横たわっていた。頭部と耳に、にじんだ血。首の骨が折れ、即死だったという。 「なぜこんな姿に…」。火葬された遺骨を抱きしめながら、おえつが止まらなかった。 事故が起きたのは下校中。後方から来たワゴン車にはねられた。赤色の目立つ傘を差していたが、加害ドライバーの女性=当時(35)=はカーラジオの操作に気を取られて前を見ていなかった―ということが刑事裁判で明らかになった。 前田さんは「重大な過失であり、実刑を望む」と札幌地検に意見書を出した。しかし札幌地裁が出した結論は禁錮1年、執行猶予3年。それが「量刑の相場」だった。 到底受け入れられない判決を傍聴席で聞きながら、「千尋、こんなこと絶対に許せないね」と心の中でつぶやいた。 あれから30年。前田さんには、ずっと深い闇の中を生きてきた感覚がある。 千尋さんの写真を見るとつらくなり、アルバムごと段ボールに詰めて押し入れにしまい込んだ。事故後も毎年、誕生日が来るとケーキを買い、ろうそくを飾って年齢を数えていたが、「失われた未来」を追いかけている気持ちになって十数年前にやめた。 「こんな悲しみは私たちで終わりにして」と願い続けてきた。それでも輪禍を伝えるニュースは絶えることがない。「初犯だから」「故意ではないから」といった理由で、ほとんどのケースで執行猶予が付く司法判断も変わっていない。 「千尋は車社会の犠牲になったんだ」と思うようになった。 時代が移り、交通事故に向けられる世間の目が厳しくなった、とは思う。大分市の時速194キロ死亡事故など、相当に悪質でも適用が難しかった「危険運転致死傷罪」の見直しが進んでいることも「一歩前進した」と歓迎している。 ただ、多くの事故は「過失運転致死傷罪」の範囲にとどまる。千尋さんのケースもおそらく、厳罰を科す危険運転罪の対象にはならないだろう。「過失運転の量刑も見直すべきだ。まだ課題は残っている」。娘を奪われた父は訴える。 × × × 現代社会は車の利便性を優先し、ドライバーに甘い風潮がある―という指摘がある。車が人を死傷させても、殺人や傷害などの犯罪に比べて刑罰は軽い。こうした状況は「許された危険」とも呼ばれ、被害者は苦痛と釣り合わない裁きに耐え続けている。法改正が近づく危険運転罪にも、救えない領域が残る。適切な処罰の実現を願う人たちの思いを聞いた。
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