歌手・俳優の上條恒彦さんが、7月22日、長野県の自宅近くの病院で老衰のため亡くなった。85歳だった。8月1日、所属事務所が発表した。
【画像】『ラ・マンチャの男』など上條さんの出演舞台写真
事務所は「家族に見守られ、とても穏やかな旅立ちでございました」と報告し、「これまでご支援いただきましたファンの皆様、関係者の皆様には、生前のご厚情に深く感謝申し上げます。葬儀・告別式は、故人およびご家族のご希望により、親族のみで執り行いました」とコメント。「なお、故人の遺志により、お別れの会などは実施いたしません」としている。
上條さんは1940年3月7日、長野県東筑摩郡生まれ。松本県ヶ丘高校を卒業後、1962年6月に歌手として活動を開始。1971年11月には、世界歌謡祭にて「出発の歌」でグランプリを受賞した。フジテレビのドラマ『木枯し紋次郎』の主題歌「だれかが風の中で」などのヒット曲でも知られている。1987年6月からは八ヶ岳山麓に移住していた。
舞台・ドラマにも多数出演し、昭和から上演を重ねる東宝ミュージカルの名作3作品でも長年にわたり活躍した。
松本白鸚が54年間主演を務めた『ラ・マンチャの男』では、1977年から2023年の最終公演まで牢名主・宿屋の主人役として948回出演。『屋根の上のヴァイオリン弾き』では、1980年から故・森繁久彌さん演じる主役テヴィエの盟友ラザール・ウォルフ役を務め、1986年の森繁さん最終公演では指名を受けて7回、主役のテヴィエを演じた。その後も、1994年から2001年まで西田敏行さんがテヴィエ役を務めた際、ラザール役として共演し続けた。
また、大地真央がイライザ役を務めた『マイ・フェア・レディ』では、1993年から2010年の卒業公演まで、イライザの父ドゥーリトル役として417回出演。
さらに、1976年には帝劇の挑戦作『ピピン』の日本初演で主役を務めるなど、多彩な舞台活動を展開。2024年6月27日~30日、三ツ星キッチンプロデュース公演『六月の雨 ~梅雨は嫌いですか?~』が最後の舞台となった。
『ラ・マンチャの男』で共演した松本白鸚は上條さんの訃報を受け、「残念です。長い間、ラ・マンチャの牢名主の上條さんとは一緒に戦ってきました。舞台を離れても、いつも優しく励ましてくれました。さみしいです。」と、コメントを寄せている。
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